中村東蔵 (6代目)
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(中村玉太郎 (3代目)から転送)
ろくだいめ なかむら とうぞう 六代目 中村 東蔵 | |
屋号 | 加賀屋 |
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定紋 | 梅八つ藤 |
生年月日 | 1938年1月21日(86歳) |
本名 | 河野均 |
襲名歴 | 1. 三代目中村玉太郎 2. 六代目中村東蔵 |
別名 | 藤間勘左衛門(新国劇子役) 藤間城太郎(映画テレビ俳優) |
出身地 | 東京都 |
父 | 河野勝斎(医師・学者) 六代目中村歌右衛門(芸養父) |
兄弟 | 藤間紫(姉) |
子 | 六代目中村松江 |
六代目 中村 東蔵(ろくだいめ なかむら とうぞう、1938年〈昭和13年〉1月21日 - [1])は、歌舞伎役者、映画テレビ俳優。屋号は加賀屋、定紋は梅八つ藤。歌舞伎名跡「中村東蔵」の当代。新国劇の子役時代には藤間勘左衛門(ふじまかんざえもん)、歌舞伎以前の映画テレビ俳優としては藤間城太郎(ふじま じょうたろう)の芸名がある。本名は河野 均(こうの ひとし)。東京都出身[1]。人間国宝。
来歴
[編集]暁星小学校、暁星中学校・高等学校出身、早稲田大学中退[1]。立役・女方ともにこなせる芸域の広さで知られる。あまたの主要な脇役をこなし現在の歌舞伎に厚みを加えている。
幼いころは新国劇の子役として藤間勘左衛門を名乗り舞台で活躍。その後藤間城太郎と名を改め、1954年から1957年にかけて映画に主演、新進のスターとして名を売った。また自身で劇団を作り舞台活動もしていた。23歳で全てを投げ打って歌舞伎入りし、六代目中村歌右衛門の芸養子となった。
家族
[編集]- 父: 河野勝斎(医師、日本医科大学理事長、日本私立大学協会常務理事)
- 姉: 初代藤間紫(日本舞踊紫派藤間流家元、女優)
- 姉婿: 二代目市川猿翁(歌舞伎役者)
- 従姉: あした順子(漫才師)
- 子: 六代目中村松江(歌舞伎役者)
また芸養子として六代目中村歌右衛門に師事、養子同然に育った。
歌舞伎の年譜
[編集]- 1961年 昭和35年9月歌舞伎座『加賀見山旧錦絵』の谷澤主水ほかで三代目中村玉太郎を襲名して歌舞伎初舞台。
- 1967年 昭和42年4月5月歌舞伎座『
根元草摺引 』の五郎ほか六代目中村東蔵を襲名。 - 2016年 「歌舞伎脇役」で人間国宝に認定[2][3]。
- 2018年 旭日小綬章を受章[4]。
出典
[編集]- ^ a b c 『読売年鑑2013』P.596(読売新聞東京本社,2013年3月27日刊行)
- ^ 『重要無形文化財の指定及び保持者の認定について :PDF File』(プレスリリース)文化庁、2016年7月15日 。2024年2月21日閲覧。
- ^ 「中村東蔵 人間国宝に認定、希望外の役者道も「流れに身をゆだねた」」『スポニチ』スポーツニッポン新聞社、2024年2月21日。2016年7月15日閲覧。
- ^ 平成30年春の叙勲 東京都 (PDF) (内閣府)
関連項目
[編集]- 小天狗小太郎 - 藤間城太郎時代に主演したテレビ映画