コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

出羽仙台街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山越出羽道から転送)

出羽仙台街道(でわせんだいかいどう)は、江戸時代陸奥国の最大都市である仙台藩仙台城城下町(現・宮城県仙台市北緯38度15分36.9秒 東経140度52分14.5秒)と、西廻海運の起点である庄内藩港町酒田湊(現・山形県酒田市北緯38度54分51.9秒 東経139度50分11.4秒)とを結んだ街道のうち、奥羽両国を隔てる奥羽山脈を超える区間、すなわち、吉岡宿宮城県黒川郡大和町吉岡北緯38度26分44.3秒 東経140度53分6.4秒)から舟形宿(山形県最上郡舟形町北緯38度41分31.5秒 東経140度19分14.6秒)までの区間の通称[1]

現在では特に「出羽仙台街道中山越」として史跡指定されている県境の区間、すなわち、宮城県大崎市鳴子の尿前番所(北緯38度44分20.1秒 東経140度42分6秒 / 北緯38.738917度 東経140.70167度 / 38.738917; 140.70167 (尿前番所))から山形県最上郡最上町の笹森番所(北緯38度44分14.3秒 東経140度36分35.5秒 / 北緯38.737306度 東経140.609861度 / 38.737306; 140.609861 (笹森番所))までの区間 (4.2km) を指すことが多い。

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

概要

[編集]

陸奥国出羽国を結んだ脇街道。標高1,000-2,000m前後の山々が連なる奥羽山脈を、標高350mの峠(堺田越)が結ぶ。仙台側では出羽海道[2]、新庄側では堺田越え[3]などの名称で呼ばれた。1815年文化12年)には新庄藩参勤交代に利用し、秋田藩にも利用されていた[4]

戊辰戦争の戦後処理が行われた明治元年12月7日西暦1869年1月19日)に、出羽国羽前国羽後国に分割された。明治の地誌には中山越と記される[5]。仙台と酒田を結んだ街道は現在、「北羽前街道[6]、あるいは、「羽後街道」と呼ばれている。1990年(平成2年)、街道沿いの史跡群を国の史跡に指定するに当たって、「御勝手帳」「安永風土記御用書出」の記述を基に、指定名称を「出羽仙台街道中山越」としたことにより[7]名称が一般化した。すなわち、出羽仙台街道は、歴史的に広く使われていた名称ではない[8]

酒田港から最上川を清水河岸(現大蔵村)で陸揚げされた上方物や松前物が、この街道を通って仙台城下に運ばれた[3]
仙台への品物: 塩マス数の子麻の実綿塩引身欠きニシン、秋味、砂糖、柿渋、蚕種、砥石、鉄など
仙台からの品物:マグロ、真綿、硝煙、石膏、明礬、イワシ、焼き麩、水油など

また、仙台南部で生産された紅花は山形商人によって集荷され、1814年文化11年)以降堺田越えまたは舟形口経由で清水河岸に出荷された[9]。仙台藩にとっては、奥州街道陸前浜街道ほどではないにしろ、重要な街道であった。

出羽三山への参詣に向かう街道でもあり、かつては松尾芭蕉も通った。

現在、尿前番所と笹森番所の間の旧街道(4.2km)が、歴史街道として保存されており、往古の雰囲気が残されている。史跡「出羽仙台街道中山越」の指定範囲でもある[10]

宿場・駅場

[編集]

数は吉岡宿からの通し番号[5][11][12]

宿場 令制国 現在の自治体 特記事項
都道府県 市区町村
1. 吉岡宿 陸奥国
仙台領
黒川郡 宮城県 黒川郡 大和町 奥州街道が分岐。
2. 中新田宿 加美郡 加美郡 加美町 最上街道が分岐。
3. 岩出山町 玉造郡 大崎市 岩出山 岩出山城下。
一迫真坂町への海道、一迫川口町への海道、
志田郡古川町への海道との分岐[2]
4. 下宮宿 一迫小僧荒町への脇街道が分岐[2]
5. 鍛冶谷沢宿 鳴子温泉 六角山(鬼首村荒湯への海道)との分岐[2]
6. 尿前宿 仙台藩御番所。
出羽へは尿前坂、小深沢坂、大深沢坂と難所が続いた[2]
7. 中山宿 正保年間に宿駅設置[2]
8. 堺田駅 出羽国
新庄領
最上郡 山形県 最上郡 最上町
9. 笹森駅 新庄藩口留番所、富沢村枝郷[3]1610年:口留番所設置[4]
10. 十日町駅
11. 向町駅 花立越え分岐(鬼首村への道)[3]
12. 鵜杉駅 志茂村枝郷[3]
13. 長沢駅 舟形町
14. 舟形宿 新庄藩御番所[3]羽州街道分岐

小国郷内には本陣の置かれた宿場はなかった。郷内を通るいくつかの村は脇街道の駅場に定められた。各駅場には、荷物あるいは通信物の継ぎ送りのために問屋等が定められていた。[3]

関所

[編集]

現在のルート

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 出羽仙台街道中山越とは
  2. ^ a b c d e f 宮城県史 第25 (資料篇 第3)』宮城県史刊行会、1954年https://dl.ndl.go.jp/pid/2992593/1/3 
  3. ^ a b c d e f g 最上町史編集資料 第9号 (判屋・荒川家文書.笹森・佐藤家文書)』最上町教育委員会、1982年12月https://dl.ndl.go.jp/pid/9571411/1/15 
  4. ^ a b やまがたの峠』高陽堂書店、1978年2月https://dl.ndl.go.jp/pid/9569855/1/162 
  5. ^ a b 日本地誌提要 巻之23−35』日報社、明5-10https://dl.ndl.go.jp/pid/762409/1/196 
  6. ^ 日本の主な街道
  7. ^ 出羽街道中山越を行く
  8. ^ 最上町商工会 Archived 2010年6月9日, at the Wayback Machine.
  9. ^ 最上川流域の歴史と文化 : 工藤定雄教授還暦記念論文集』山形史学研究会、1973年https://dl.ndl.go.jp/pid/9536161/1/198 
  10. ^ 国指定文化財等データベース
  11. ^ 陸奥国(仙台領)
  12. ^ 出羽国(新庄領)
  13. ^ 北羽前街道は、仙台から酒田を結ぶ街道だが、古川で奥州街道と分岐している。吉岡から岩出山へと向かう区間は、羽後街道である。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]