伯和ビクトリーズ
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(中山竜秀から転送)
チーム名(通称) | 伯和 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1993年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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チームカラー | 紫色 |
監督 | 内山孝起 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 10回 |
最近の出場 | 2021年 |
最高成績 | 8強 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 8回 |
最近の出場 | 2023年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
伯和ビクトリーズ(はくわビクトリーズ)は、広島県東広島市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。
母体は、広島県を中心に展開するパチンコ企業の伯和である。チーム名の「victory」の複数形は本来であれば「victories」だが、チームのロゴなどでは「victorys」となっている。
概要
[編集]1993年、東洋観光グループの西日本リネンサプライが、一事業である衛生業ブランド名(トーカイとのフランチャイズ契約により運営)をとって『リースキン広島硬式野球部』を創部。
2004年にチーム名を『リースキン硬式野球部』に改称し[1]、同年の都市対抗野球で創部12年目での初出場を果たした。しかし、同年の日本選手権の予選敗退後、翌2005年はクラブチームとして活動し、シーズンいっぱいをもって廃部する旨が発表された。
その後、広島県を中心に展開するパチンコ企業の伯和がチームごと譲り受ける事となり、2005年から会社登録のまま『伯和ビクトリーズ』としてチーム名称を変更する形でチームを引き継いだ[2]。同年は、日本選手権で中国地区代表として初出場を果たし、「伯和」として1年目で全国大会デビューすることとなった。
また、2006年には「伯和」となってから初の都市対抗野球出場を果たし、2012年の都市対抗野球ではベスト8入りを果たした。
創業者である安本養伯がイ・ビョンホンをかねてから支援しており有名であり、イ・ビョンホンは同チームの応援副団長を務めている。また、イの話題で時折、女性週刊誌などに名前が出ることがある[3][4]。
沿革
[編集]- 1993年 - 『リースキン広島』として創部。
- 2004年 - 『リースキン』に改称。都市対抗野球に初出場(初戦敗退)。
- 2005年 - 母体の変更に伴いチーム名を『伯和ビクトリーズ』に改称。日本選手権に初出場(初戦敗退)。
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場10回、8強1回(2012年)
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場8回、4強1回(2015年)
- JABA徳山(スポニチ)大会 - 優勝1回(2004年)
- JABA広島大会 - 優勝3回(2006、2007、2011年)
主な出身プロ野球選手
[編集]- 山口弘佑(投手) - 2001年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団
- 七條祐樹(投手) - 2010年ドラフト2位で東京ヤクルトスワローズに入団
- 星野雄大(捕手) - 退団後、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズを経て、2012年ドラフト5位で東京ヤクルトスワローズに入団
- 中元勇作(投手) - 2014年ドラフト5位で東京ヤクルトスワローズに入団
- 上甲凌大(捕手) - 退団後、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツを経て、2022年育成ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団
元プロ野球選手の競技者登録
[編集]- 宇野雅美(元:広島東洋カープ、読売ジャイアンツ) - 投手(2000年~2004年)→2005年にヤクルトスワローズに入団しプロに復帰
- 多田大輔(元:広島東洋カープ、バンディッツベースボールクラブ) - 捕手(2019年)→2019年オフに現役引退 *同部在籍時には、「住吉大輔」で登録。
脚注
[編集]- ^ “チーム情報 2004年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2016年12月16日閲覧。
- ^ “チーム情報 2005年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2016年12月16日閲覧。
- ^ Eタウン -メールマガジンサイト-
- ^ 安本養伯 伯和グループ 代表取締役
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 伯和ビクトリーズ硬式野球部
- 伯和ビクトリーズ (@hakuwavictorys) - X(旧Twitter)
- 伯和ビクトリーズ (@hakuwa_victorys890) - Instagram