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中山俊丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山稔丈から転送)
中山 俊丈
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市昭和区
生年月日 (1935-12-10) 1935年12月10日
没年月日 (2016-10-24) 2016年10月24日(80歳没)
身長
体重
176 cm
66 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1955年
初出場 1955年4月9日
最終出場 1965年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

中山 俊丈(なかやま としたけ、1935年12月10日[1] - 2016年10月24日[2])は、愛知県名古屋市昭和区出身のプロ野球選手投手)・コーチ監督解説者

1962年から1968年までの登録名中山 義朗(なかやま よしろう)、1986年から1987年までの登録名は中山 稔丈(なかやま としたけ)[3]

経歴

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中京商業高校では、同期の加藤克巳とバッテリーを組み、エースとして甲子園に4回出場。2年次の1953年春の選抜は1回戦で「瀬戸内少年野球団」のモデルとなった洲本高(大会の優勝校)に敗退。夏の選手権では準決勝まで進むが、大会準優勝校の土佐高に敗退。同年の徳島国体では決勝に進み徳島商に逆転勝ち、優勝を飾る。3年次の1954年春の選抜は1回戦で坂崎一彦を擁する浪商に敗退。夏の甲子園では順調に勝ち進み、決勝で松浦三千男興津達男を投打の柱とする静岡商と対戦。松浦との投げ合いを3-0で制して優勝を飾る。加藤以外の高校同期に、後にプロで同僚となる柳川福三がいる。

卒業後の1955年中日ドラゴンズへ入団し、1年目の同年から一軍に抜擢される。2年目の1956年と3年目の1957年には2年連続で防御率1点台の20勝をマークし、1956年のオールスター第2戦では、先発の杉下茂をリリーフして3イニングを1安打無失点と好投、勝利投手となる。1956年5月31日の巨人戦(中日)では8回表、川上哲治ショートレフトの間に落ちるテキサスヒットを打たれるが、これは日本プロ野球初の通算2000安打となった。1957年から1960年にかけて巨人戦16連敗を喫し[4]、その後は故障もあって一時低迷したが、フォームをほぼアンダースローのサイドスローに変えて復活。1963年に9勝を挙げ、1964年8月18日には巨人戦(中日)でノーヒットノーランを達成し、こうした経緯から「巨人キラー」と呼ばれていた[5]1965年引退。

引退後は中日で一軍投手コーチ補佐(1966年, 1968年)・二軍投手コーチ(1967年, 1971年 - 1976年, 1986年 - 1989年)・一軍投手コーチ(1977年 - 1978年, 1984年 - 1985年)・合宿所寮長[2]、合間を縫って、東海ラジオ解説者(1969年 - 1970年, 1979年 - 1983年)を務めた。

退団後はCBC1995年 - 1998年)解説者を経て、台湾CPBL兄弟監督(1999年)も務め、在任中は内野コーチに榊原良行を招聘。

2005年には職員を務めていた中京大学のコーチに就任。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1955 中日 33 9 3 1 1 4 5 -- -- .444 484 119.1 96 8 37 2 4 104 3 0 40 32 2.41 1.11
1956 45 27 13 9 2 20 11 -- -- .645 1007 256.1 190 14 80 0 2 222 9 0 58 46 1.62 1.05
1957 53 37 20 8 5 20 15 -- -- .571 1292 326.0 238 16 84 0 5 274 5 0 78 66 1.82 0.99
1958 44 31 13 4 1 11 19 -- -- .367 997 247.1 210 24 78 8 2 182 3 0 91 83 3.02 1.16
1959 48 24 6 1 0 9 20 -- -- .310 889 218.2 179 16 74 9 1 145 1 0 80 66 2.72 1.16
1960 39 9 2 0 0 3 4 -- -- .429 437 103.2 99 11 38 1 1 84 0 0 47 44 3.82 1.32
1961 16 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 99 23.0 21 3 15 0 0 12 2 0 11 8 3.13 1.57
1962 28 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 112 28.0 26 1 6 0 0 27 1 0 10 9 2.89 1.14
1963 41 22 6 3 2 9 5 -- -- .643 608 152.2 125 6 31 3 3 50 0 0 50 42 2.48 1.02
1964 38 15 5 2 0 7 9 -- -- .438 479 113.2 106 18 42 4 3 33 0 1 57 51 4.04 1.30
1965 11 2 0 0 0 0 2 -- -- .000 79 16.1 17 4 10 0 0 11 2 0 12 8 4.41 1.65
通算:11年 396 178 68 28 11 83 90 -- -- .480 6483 1605.0 1307 121 495 27 21 1144 26 1 534 455 2.55 1.12
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 28 (1955年 - 1960年)
  • 19 (1961年 - 1965年)
  • 67 (1966年 - 1967年)
  • 69 (1968年)
  • 66 (1971年 - 1977年)
  • 65 (1978年)
  • 73 (1984年 - 1989年)
  • 77 (1999年)

登録名

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  • 中山 俊丈(なかやま としたけ、1955年 - 1961年、1971年 - 1978年、1984年 - 1985年)
  • 中山 義朗(なかやま よしろう、1962年 - 1968年)
  • 中山 稔丈(なかやま としたけ、1986年 - 1987年)

脚注

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  1. ^ 一般社団法人日本野球機構. “中山 義朗(中日ドラゴンズ) | 個人別年度成績”. NPB.jp 日本野球機構. 2018年8月25日閲覧。
  2. ^ a b “中山俊丈さん 死去 中日で2年連続20勝”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. (2016年10月31日). https://web.archive.org/web/20210723044941/https://www.chunichi.co.jp/article/61642 2020年9月27日閲覧。 
  3. ^ プロ野球在籍者名簿 な NPB.jp(2024年2月3日閲覧)
  4. ^ 西武菊池雄星 55年ぶり同一カードで13連敗”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2018年8月25日). 2018年8月25日閲覧。
  5. ^ 巨人軍5000勝の記憶読売新聞社ベースボール・マガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。 p.30(川上哲治が日本プロ野球初の2000本安打を達成した際の投手としての紹介)

関連項目

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外部リンク

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