下田館
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(下田城 (陸奥国)から転送)
下田館 (岩手県) | |
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城郭構造 | 城館 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 下田秀祐 |
廃城年 | 1592年(天正20年) |
遺構 | 曲輪、堀 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯39度50分52.2秒 東経141度09分22.3秒 / 北緯39.847833度 東経141.156194度座標: 北緯39度50分52.2秒 東経141度09分22.3秒 / 北緯39.847833度 東経141.156194度 |
地図 |
下田館(しもたたて)は、岩手県盛岡市下田生出袋にあった日本の城。
沿革
[編集]築城時期は不明。陸奥国岩手郡玉山村に所在した。館主は陸奥国岩手郡・斯波郡の地頭河村秀清を祖とする庶子家下田弥三郎秀祐といわれ、天正19年(1591年)の九戸政実の乱では南部信直方に与した。下田家は、秀祐以外には秀邑、秀勝などの名前が知られる[1]。
館跡は北上川沿いの河岸段丘上にある[2]。全体の規模は東西200メートルx南北250メートルで、堀を隔てて南北の曲輪に分かれている。さらに曲輪の西から南側にかけての生山川を隔てて広がる台地を陣馬平といい、台地の東側段丘に空堀をめぐらした出城があった。
天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には「岩手郡之内 下田 平城 破 川村 中務 持分」とあり、破却された。
脚注
[編集]- ^ 岩手県教育委員会 1986 p.102
- ^ 「埋蔵文化財包蔵地地図(遺跡地図2008年版分割図1~10)」盛岡市公式HP
参考文献
[編集]- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
- 岩手県教育委員会『岩手県中世城館跡分布調査報告書』 82巻、1986年3月30日 。
関連項目
[編集]- 日本の城一覧
- 下田城 (曖昧さ回避) - 同一城郭名