静岡県立下田南高等学校
表示
(下田南高等学校から転送)
静岡県立下田南高等学校 | |
---|---|
北緯34度40分27.6秒 東経138度56分17.6秒 / 北緯34.674333度 東経138.938222度座標: 北緯34度40分27.6秒 東経138度56分17.6秒 / 北緯34.674333度 東経138.938222度 | |
過去の名称 |
賀茂郡立賀茂高等女学校 静岡県立下田高等女学校 静岡県立下田第二高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 静岡県 |
設立年月日 | 1920年 |
閉校年月日 | 2008年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 南伊豆分校 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
設置学科 |
普通科 商業科(1950 - 2007年) 園芸科(南伊豆分校) |
所在地 | 〒415-8527 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
静岡県立下田南高等学校(しずおかけんりつ しもだみなみこうとうがっこう)は、静岡県下田市にあった県立高等学校。地元では南高(なんこう又はみなみこう)と呼ばれていた。
学科
[編集]2007年度の募集定員は全日制普通科120名、定時制普通科40名となっていた。
沿革
[編集]- 1920年(大正9年) - 賀茂郡立賀茂高等女学校として創立(修業年限4年)
- 1922年(大正11年) - 静岡県立下田高等女学校に改称
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により静岡県立下田第二高等学校に改組。同年9月、組合立南賀分校を開設(昼間定時制課程)。あわせて本校に定時制課程を開設
- 1949年(昭和24年) - 静岡県立下田南高等学校に改称
- 1950年(昭和25年) - 商業科を併設するとともに、商業科のみ男女共学となる。
- 1956年(昭和31年) - 南賀分校を南伊豆分校と改称
- 1957年(昭和32年) - 南伊豆分校の学科を農業科に変更
- 1959年(昭和32年) - 南伊豆分校を全日制課程に変更
- 1963年(昭和38年) - 南伊豆分校の学科を園芸科に変更
- 1992年(平成4年) - 普通科も男女共学となる。
- 2005年(平成17年) - 商業科の募集を停止する。
- 2007年(平成19年) - 同年3月の卒業生を最後に商業科が閉科となる。
- 2008年(平成20年)4月 - 下田北高校と統合し、下田高等学校となる。
特色
[編集]- 部活動は盛んで、男子バレーボール部はインターハイ・春高バレー等全国大会への出場歴がある(詳細は後述を参照のこと)。
- 商業科では新しい試みとして平成14年から毎年12月に、地元商店街の空き店舗を利用した高校生によるチャレンジショップ「サウスマーケット34」が行われていた。
部活動
[編集]運動部
[編集]- 男子バレーボール部
全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ)に静岡県代表として通算4回出場。
1991年・第44回(決勝トーナメント2回戦敗退)、1992年・第45回(決勝トーナメント1回戦進出)、2000年・第53回(決勝トーナメント1回戦進出)、2002年・第55回(予選グループ戦敗退・敗者復活戦敗退)
全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)に静岡県代表として通算6回出場。
1992年・第23回(1回戦敗退)、1994年・第25回(ベスト8進出)、2002年・第33回(3回戦進出)、2003年・第34回(1回戦敗退)、2005年・第36回(1回戦敗退)、2006年・第37回(2回戦進出) - 女子バレーボール部
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- 男子テニス部
- 女子テニス部
- サッカー部
- 卓球部
戦前の旧制下田高女時代に下記のとおりの成績を挙げている。これは、当時の下田町出身で自らも選手として全日本選手権で2連覇を成し遂げ、後に下田町議会議員・静岡県議会議員・下田町長などを歴任した鈴木貞雄(1900-1975)がコーチとして指導にあたったことによるところが大きい。- 1933年(昭和8年):第2回全国学校対抗卓球大会(主催・日本卓球会)において団体3位
- 1936年(昭和11年):全国女子卓球大会(主催・東京卓球連盟)において個人戦準優勝
- 陸上部
- 剣道部
- 柔道部
- 弓道部
- 水泳部
文化部
[編集]統廃合問題
[編集]少子化による生徒数の減少や社会ニーズの変化に対応するため、静岡県教育委員会は「県立高等学校第二次長期計画」を策定し、下田北高校との統合による再編整備を決定。旧下田北高校跡地に新校舎が建設され、2008年(平成20年)4月に下田高校として新しいスタートをきっている。
これにより、定時制普通科や南伊豆分校の全日制園芸科は新高校に組み入れられた。
跡地利用
[編集]校舎施設が解体された後、跡地には2012年(平成24年)5月[1]に下田メディカルセンターが開院している[2]。
所在地
[編集]交通
[編集]著名な卒業生
[編集]下田高女
[編集]- 大久保婦久子 - 皮革工芸家、下田市名誉市民(文化勲章受章)