下村辰右衛門
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(下村辰右衞門から転送)
下村辰右衛門 しもむら たつえもん | |
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生年月日 | 1873年2月8日 |
出生地 | 日本 佐賀県 |
没年月日 | 1933年8月25日(60歳没) |
前職 | 実業家 |
子女 | 養子・下村湖人 |
在任期間 | 1904年9月29日 - 1911年9月28日 |
4代 下村 辰右衛門(辰右衞門、しもむら たつえもん、1873年(明治6年)2月8日[1] - 1933年(昭和8年)8月25日[2])は、明治から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・田淵、小説家下村湖人の養父。
経歴
[編集]佐賀県出身[2]。田淵茂左衛門の二男として生れ[1]、1896年(明治29年)3月、佐賀市牛島町の醸造業[3]、先代・下村辰右衛門の養子となる[1]。1900年(明治33年)1月に家督を相続した[1]。
1902年(明治35年)以降、佐賀貯蓄銀行監査役、佐賀百六銀行(現三井住友銀行)監査役、佐賀馬車鉄道(のちの佐賀電気軌道)社長、広滝水力電気取締役、佐賀米穀取引所理事、佐賀商業会議所議員、佐賀市参事会員などを務めた[1][2]。
1904年(明治37年)佐賀県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され[4]、同年9月29日に就任し[5]、1911年(明治44年)9月28日の任期満了まで1期在任した[2]。
多額の資産を所有して羽振りの良い暮らしをしていたが浪費家で、ついに1919年(大正8年)頃には経済的に困窮し、養子の下村湖人が財産整理に当たった[6]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 永杉喜輔『下村湖人伝:「次郎物語」のモデル』柏樹社、1970年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。