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上山田付城

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上山田付城
静岡県
別名 上山田城
城郭構造 山城(比160m、標180m)
天守構造 建造されず
築城主 前野長康
築城年 天正18年(1590年
主な城主 前野長康
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀
指定文化財 なし
位置 北緯35度02分54.4秒 東経138度58分03.4秒 / 北緯35.048444度 東経138.967611度 / 35.048444; 138.967611
地図
上山田付城の位置(静岡県内)
上山田付城
上山田付城
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上山田付城(かみやまだつけじろ)は、伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山金谷)にあった戦国時代日本の城山城)。

歴史

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天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の際に、韮山城攻めを仰せ付けられた家臣の一人である前野長康勢(1250人)によって築城され、ここに陣を置いた。前野長康は、俗に言う墨俣一夜城の築城における第一功労者であり、築城の才があったといわれる。また、上山田付城は上山田城(かみやまだじょう)や上山田陣城(かみやまだじんじろ)とも呼ばれ、陣城の役割を果たした。

城郭

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上山田付城は昌渓院の北東約400m、韮山城の東にある比高140mの山の頂に築かれ、西北西方面には追越山付城が、南方面には昌渓院付城がある。韮山城からは死角にあり、あくまで陣城の役割なので、天守などは建造されなかった。大規模ではないが技巧的な構造の陣城であり、このような城郭の残る城は少ない。

複雑に組み合わされている土塁を仕切り、山頂に中央がある。中央郭から東には尾根があり、桝形虎口、東郭、東郭(下段)、段郭が続いて形成されていて、その尾根に続くと昌渓院付城がある。中央郭から西には桝形虎口、西郭、桝形虎口、空堀、堀切が続き、そこから南にのびる尾根に段郭がある。中央郭の北にのびる尾根にも段郭があり、追越山付城に繋がっている。

アクセス

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上山田付城のある山には登山ルートや駐車場などはない。

参考文献

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  • 『伊豆韮山籠城戦の付城と仕寄遺構』土屋比都司著
  • 『静岡の山城ベスト50を歩く』加藤理文・中井均(編)/ サンライズ出版