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三井高信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三井得右衛門から転送)

三井 高信(みつい たかのぶ、1871年11月23日明治4年10月11日) - 1922年大正11年)8月17日)は、日本実業家一本松町家(三井家連家)の初代当主[1][2]

カネボウ創業者兼頭取、王子製紙会長、東神倉庫社長などを務めた。三井呉服店監査役三井鉱山監査役、三井物産監査役、三井合名監査役等を歴任した[1][2]

経歴

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1871年、三井伊皿子家の第6代当主の三井高生 [注釈 1]の二男として京都府にて出生[1][2]三越正次の養子となったという説もある[5]

1872年 三井大元方(三井家全事業の統括機関)から不振事業であった越後屋を分離するにあたり、名目上の三越家の名義で経営するため、三井得右衛門三越得右衛門と改姓。大隈重信渋沢栄一井上馨らから呉服店の分離を迫られ、三越家が設立された[6][7][8]

1875年 糸店および売込店を三越から切り離し、大元方直轄の国産方(三井物産の前身)に移管。

1886年 11月、内務省勧業寮の屑糸紡績所(新町紡績所)の三越呉服店への払下げを受けるに伴い[9]東京綿商社カネボウ前身)を設立し、頭取・社長に就任した[1][2]

1887年 5月12日、農商務省所属の群馬県新町紡績所の払下げを受ける。

1888年 1月8日、三越呉服店の本店西側に洋館を新築し「三越洋服店」を開業(のち植村伝助に譲渡)。

1893年 7月、三越家の家督相続と同時に復姓し、三井得右衛門を名乗って三越呉服店を運営した[10][8]

1903年 品川毛織社長[11]

1904年 三越呉服店を株式会社として設立登記。新聞紙上に「三越呉服店が三井呉服店の営業を譲り受けた」ことを広告し、「デパートメントストア宣言」記載の三井・三越連名挨拶状を全国の顧客・取引先などに発送し、株式会社三越呉服店として営業を開始。

1911年 王子製紙会長[12]

1916年 三井銀行監査役[13]

1920年 東神倉庫社長[14]

親族

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三井高寛(三井元之助)は兄。三井高泰(三井守之助)は弟[15]

妻・鉞子は松平定安の娘(松平直亮の妹)[16]

脚注

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注釈
  1. ^ 江戸時代前期の商人三井高俊の子孫。1911年、正五位から位2級被進[3]。1914年、正四位から従三位[4]
出典
  1. ^ a b c d 三井 高信(読み)ミツイ タカノブ20世紀日本人名事典の解説
  2. ^ a b c d 「三井高信(読み)みつい たかのぶ」デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
  3. ^ 官報
  4. ^ 官報
  5. ^ 人事興信録(第4版)。1915年1月(大正4年)
  6. ^ 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)-越後屋
  7. ^ 「社名を決めたら改姓もしちゃった」,田中ひろみ『社名の不思議な由来』
  8. ^ a b 生島淳「百貨店創成期の改革者 : 日比翁助と2代小菅丹治」『政大学イノベーション・マネジメント研究センター ワーキングペーパーシリーズ』第134巻、法政大学イノベーション・マネジメント研究センター、2012年、1-21頁、hdl:10114/11336NCID BB14069505 
  9. ^ 清水.中島.山口(1989).
  10. ^ 安岡重明 1969.
  11. ^ : 1896-1956』(1957.05)渋沢社史データベース
  12. ^ 「王子製紙(株)『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(2001.08)」渋沢社史データベース
  13. ^ 「(株)三井銀行『三井銀行五十年史』(1926.09)」渋沢社史データベース
  14. ^ 「三井倉庫(株)『三井倉庫五十年史』(1961.03)」渋沢社史データベース
  15. ^ 「三井得右衞門 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース(名古屋大学)
  16. ^ 三井得右衞門 (初版 明治36(1903)年4月 の情報) - 人事興信録データベース

参考文献

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先代
設立
東京綿商社社長
1886年 - 1893年
次代
中上川彦次郎
先代
朝吹英二
王子製紙会長
1911年 - 1920年
次代
藤原銀次郎
先代
三井高明
東神倉庫社長
1920年 - 1922年
次代
三井高徳