コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

八栄村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七熊村から転送)
やさかえむら
八栄村
廃止日 1937年4月1日
廃止理由 新設合併
船橋町葛飾町八栄村法典村塚田村船橋市
現在の自治体 船橋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
東葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 14.83 km2
総人口 4,294
1923年
隣接自治体 東葛飾郡船橋市、葛飾町、法典村、塚田村、鎌ケ谷村、千葉郡二宮町豊富村
八栄村役場
所在地 千葉県東葛飾郡八栄村大字南金杉614-723
(現・千葉県船橋市金杉2-5)
座標 北緯35度43分51秒 東経140度00分07秒 / 北緯35.73083度 東経140.00203度 / 35.73083; 140.00203座標: 北緯35度43分51秒 東経140度00分07秒 / 北緯35.73083度 東経140.00203度 / 35.73083; 140.00203
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

八栄村(やさかえむら)は、千葉県東葛飾郡にかつて存在した。現在の船橋市の中西部の地域にあたる。

概要

[編集]

八栄村は、1889年明治22年)に東夏見・西夏見・高根・金杉・七熊(現・東町)・米ヶ崎・二和・三咲の8ヶ村が合併して誕生した。村の名称である「八栄」の語源は、合併した「八」の村とめでたい「栄」を組み合わせたものからきている。1937年(昭和12年)、船橋市の設置により消滅した。役場は、金杉村に、駐在所は高根に設けられた。最寄駅は、船橋駅である。

本村の年表

[編集]

人口統計

[編集]
戸口 人口 調査名 出典
1889年(明治22年)
1890年(明治23年)
1891年(明治24年)
1892年(明治25年) - 2895人 千葉県改正新町村名便覧
1893年(明治26年)
1894年(明治27年)
1895年(明治28年)
1896年(明治29年)
1897年(明治30年)
1898年(明治31年)
1899年(明治32年)
1900年(明治33年)
1901年(明治34年)
1902年(明治35年)
1903年(明治36年)
1906年(明治37年)
1905年(明治38年)
1906年(明治39年)
1907年(明治40年)
1908年(明治41年)
1909年(明治42年)
1910年(明治43年)
1911年(明治44年)
1912年(明治45年)
1913年(大正2年)
1914年(大正3年)
1915年(大正4年)
1916年(大正5年)
1917年(大正6年)
1918年(大正7年)
1919年(大正8年)
1920年(大正9年) - 4181人 国勢調査
1921年(大正10年)
1922年(大正11年)
1923年(大正12年) 584戸 4294人 国勢調査 八栄村誌
1924年(大正13年)
1925年(大正14年)
1926年(大正15年)
1927年(昭和2年)
1928年(昭和3年)
1929年(昭和4年)
1930年(昭和5年) - 4498人 国勢調査
1931年(昭和6年)
1932年(昭和7年)
1933年(昭和8年)
1934年(昭和9年)
1935年(昭和10年
1936年(昭和11年) - 4634人 国勢調査

土地

[編集]

土地利用

[編集]
宅地 山林 原野 雑種地 塩田 合計 調査名 出典
1930年(昭和5年 宅地 山林 原野 雑種地 塩田 合計 調査名 出典

地域

[編集]

地理

[編集]
河川
  • 現在では、行政側の管理上の都合から小河川にも名称がつけられているが、元はそのような呼称はなく、そのまま海老川と総称されたり、本流以外の小河川は、小川(おがわ)と呼ばれる場合が多かった。

地域(合併村)の概説

[編集]

本村の地域属性としては、南部と北部の大きく2つに分けられる。南部にある夏見・高根・金杉・七熊、米ヶ崎などの集落は古くは夏見御厨に属していた古村であり、意富比神社に対する信仰も厚く、海老川流域における地理形状などから見ても船橋町に近い。一方、北部の二和三咲などの集落がある地域は、古くから馬牧として活用されていたため、もともとの集落は存在せず、明治期の開墾によって成立した新興村である。そのため、同じように近世に開墾によって成立した初富や習志野などの地域に近い。

人物

[編集]

歴代村長

[編集]
  • 初代 小川萬次郎 明治22年-24
  • 第2代 湯浅市太郎 明治24-27(金杉,惣右衛門家・ハナ)
  • 第3代 石井良三郎 明治28-36(金杉,源左衛門家・カド)
  • 第4代 米井實 明治36-39(金杉,庄左衛門家)
  • 第5代 藤城啓 明治41-45 (高根)
  • 第6代 湯浅丑松 明治45-(金杉,惣右衛門家・ハナ)
  • 第?代 鈴木敬 ?〜昭和10年(金杉,紋右衛門家)
  • 第?代 斎藤春次 ?〜昭和12年

村議会議員

[編集]

著名な出身者

[編集]

村内の主な組織

[編集]

交通

[編集]

鉄道

[編集]

中心となる駅

一般鉄道
軍用鉄道-1945年廃線
補足

二和村の住民が物資輸送のため、鉄道連隊の協力を得た事があった。

道路

[編集]
補足

街道交通の主は、徒歩人力車自転車(自動自転車も含む)が主で、物資輸送の場合は、荷馬車牛車大八車が使用された。

海路

[編集]

特に産業は無いが、にてを用いることもある。

町(村)内の主な施設・機関

[編集]

村の施設

[編集]
  • 八栄村役場(金杉)

県の施設

[編集]
  • なし

国の施設

[編集]
  • 陸軍無線送信所跡(二和)

治安施設

[編集]

教育施設

[編集]

宗教施設

[編集]

観光

[編集]

旧跡

[編集]

旧八栄村内にある文化財

[編集]
市の指定文化財

産業

[編集]

本村の多くは山林と農地のため、商工を本業とするものは少なく、一般に農業に従事している。

種別 戸数 出典 調査年
農業本業 298戸 八栄村誌 大正7年
農業兼業 252戸
本業商業 13戸
兼業商業 31戸
工業本業 4戸
工業兼業 240戸
公務・自由本業 15戸
公務・兼業 18戸

産物

[編集]
種別 産物名 出典 調査年
農産物 八栄村誌 大正7年
落花生
甘藷
甘藷苗
青芋
蘿蔔
その他
鶏肉
鶏卵
切干大根

八栄村を舞台にした作品

[編集]

[編集]

絵画

[編集]

民話

[編集]

参考文献

[編集]
  • 船橋市史編さん委員会,『船橋市史 資料編五』,1984年発行
  • 神尾武則,『船橋市史研究2-船橋市における行政区域の変遷』,1987年発行
  • 河口洋一,『船橋市5千一人の群像-明治から平成 まちの歩みと人』,2005年初版
  • 天下井恵,『金杉の歴史』,1983年
  • 船橋郷土資料館,『中世の船橋〜掘る・読む・訪ねる〜』,2002年発行
  • 船橋市史談会,『ふるさとの地名(改訂版)-船橋市の地名を探る-』,2002年
  • 盛松舘多田屋本店,『千葉県改正新町村名便覧』,1892年

関連項目

[編集]