コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

十返舎一九

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一九から転送)
十返舎一九
誕生 明和2年(1765年
駿河国 府中(現静岡県 静岡市 葵区
死没 天保2年8月7日1831年9月12日
武蔵国 江戸(現東京都
墓地 東陽院東京都中央区
職業 戯作者
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1789年 - 1822年
ジャンル 黄表紙滑稽本合巻
代表作 『東海道中膝栗毛』
デビュー作 『心学時計草』
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
十返舎一九生家跡の碑の写真
十返舎一九生家跡の碑(静岡県静岡市葵区両替町1丁目)

十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく、明和2年(1765年) - 天保2年8月7日1831年9月12日[1])は、江戸時代後期の戯作者絵師。『東海道中膝栗毛』の作者。本名は重田貞一(しげた さだかつ)[1]、幼名は市九[1]。通称に与七、幾五郎があった。酔翁、十返舎などと号す。

生涯

[編集]

家系や出生には不明な点が多い[1]。千人同心(十人同心)の子とする説や、駿河国府中(駿府:現在の静岡市葵区)で代官丹後の子として生まれたとする説もある[1]。生家は駿河で、駿府町奉行の重田氏に養われたことは確かである[1]。葵区両替町一丁目に、生誕の地の碑が建っている。

江戸に出て武家奉公をし、天明3年(1783年)までに大坂へ移り、大坂町奉行小田切直年に勤仕したとされるが、確たる証拠はない[1]寛政元年(1789年)(25歳)、近松与七の名前で、浄瑠璃『木下蔭狭間合戦』(このしたかげはざまがつせん)を合作した[1]。材木商に入り婿として入るが、ほどなく離縁する[1]

寛政6年(1794年)(30歳)、江戸へ戻り、通油町(現在の中央区日本橋大伝馬町)の版元蔦屋重三郎方に寄食して[1]、用紙の加工や挿絵描きなどを手伝った。寛政7年(1795年)、蔦屋に勧められて黄表紙『心学時計草』ほか3種の黄表紙を出版し[1]、翌年からは毎年10種以上の黄表紙を刊行した[1]。一九は文才にくわえ絵心があり、文章だけでなく挿絵も自分で描き、版下も書くという、版元に便利な作者であった。狂言謡曲、浄瑠璃、歌舞伎落語川柳などに詳しく、狂歌は三陀羅法師に学び神田派に属した[1]

また、黄表紙のほか、洒落本人情本読本合巻、狂歌集、さらには教科書的な文例集まで書いた。筆耕・版下書き・挿絵描きなど、自作以外の出版の手伝いも続けた[要出典]。寛政から文化期に自ら「行列奴図」や、遣唐使吉備真備を描いた「吉備大臣図」などの肉筆浮世絵を残している。

享和2年(1802年)に出した『東海道中膝栗毛』が大ヒットして、一躍流行作家となった。当時の生活について「最近ではいつも出版元から係の人がきて、机の横で原稿ができあがるのを待ってます」と、現代にも通じる作家生活を描写している(膝栗毛五編序文)。文政5年(1822年)までの21年間、次々と『膝栗毛』の続編を書き継いだ[1]。頻繁に取材旅行に出かけ、山東京伝式亭三馬曲亭馬琴鈴木牧之らとも交わった。また並行して出した『方言修行 金草鞋』(むだしゅぎょうかねのわらじ)も広く読まれた。

文化7年(1810年)46歳のときに眼を病み、しばしば再発した。文政5年(1822年)58歳のときに中風を患い、その後は「名を貸しただけなのでは」と疑われる、一九らしくない作風の「著書」も混ざった[要出典]。晩年は創作には手を出さず、飲酒により身体に不自由をきたし、孤独な最後だったとされる[1]天保2年(1831年8月7日、67歳で没した。辞世の句は「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら 」。

浅草の東陽院に葬られた[2]。戒名は心月院一九日光信士。墓碑は東京都中央区勝どき四丁目に移転した同院に残る[2]。墓碑には辞世の句として「此の世をは とりやお暇に線香の 煙とともに灰さようなら」とある[2]。天保3年(1832年)遺族・門弟らによって、長命寺に建てられた記念碑が残る。また、静岡市葵区研屋町(とぎやちょう)の医王山顕光院には重田一族の墓が建ち、一九の戒名が刻まれている。

一九の死後、糸井武が二世十返舎一九と名乗るものの失踪したため[1]三亭春馬が二世十返舎一九を名乗った[1]

作風

[編集]

山東京伝や曲亭馬琴に比べると、知的な教養に欠け、創意工夫や緻密さに欠ける[1]。その一方で、読者の嗜好をいち早く察知し、先行作品を巧みに脚色編集する能力に長けていた[1]。総作品数は580種を超え、馬琴と並ぶ近世文学史上の最多作者とされる[1]。また、戯作の執筆のみで生計を立てた最初の人物とも言われる[1]

人物・逸話

[編集]
  • 名香「黄熱香」は十度焚いても香を失わないところから、「十返しの香」とも呼ばれる。一九は香道に詳しく、筆名の「十返舎」はここから、「一九」は幼名の市九から来ている[1]。初めは十遍舎一九であったが、十偏舎十偏斎重田一九斎なども用い、享和ころから十返舎一九に定まった。
  • 一九は大坂時代、材木商の家に入婿して、離婚した。寛政8年(1796年)頃、江戸、長谷川町(現在の東京都中央区日本橋堀留町二丁目)の町人の入婿となったが、放蕩のためか、享和元年(1801年)に離縁された。文化元年(1804年)、お民を娶って通油町鶴屋裏の地本問屋会所に暮らし、一女が育った。この会所住まいの時期、駿河屋藤兵衛と称した。亀戸、深川佐賀町(現在の江東区佐賀)に火災を避けた時期もあったが、晩年は通油町・長谷川町住まいであった。
  • 火葬にされた際、一九が予め体に仕込んでおいた花火に点火し、それが上がったという逸話が残されているが、これは辞世の句(前出)にかけた初代 林屋正蔵による創作であるとされている。
  • 父親が元八王子千人同心の重田与八郎の次男であるため、墓石や過去帳には元八王子千人同心の子と記載されている。

主な作品

[編集]

草双紙・版本

[編集]

『』でくくった外題の前に、次の略号を用いる。黄:黄表紙、読:読本、洒:洒落本、稽:滑稽本、噺:噺本、合:合巻、情:人情本。なお、『東海道中膝栗毛』および『続膝栗毛』については、当該ページ参照。

  • 1795年(寛政7年):黄『心学時計草』、黄『新鋳小判ぶくろ(耳偏に嚢)』、黄『奇妙頂礼胎錫杖』(…ちょうらいこだねの…)(いずれも自画)
  • 1796年(寛政8年):黄『初登山手習方帖』(しょとうざん…)、黄『怪談筆始』、黄『化物年中行状記』、黄『化物小遣帳』(いずれも自画)
  • 1797年(寛政9年):黄『化物見越松』、黄『今昔狐夜噺』(いまはむかし…)、黄『夜眼遠目笠之内』(いずれも自画)
  • 1798年(寛政10年):黄『十偏舎戯作種本』(自画)、黄『尻攑御要慎』(しりまくりごようじん)(自画)/読『当変卜十露盤占』
  • 1799年(寛政11年):黄『両説娵入奇談』、黄『敵討住吉詣』、黄『鳩讃試礼者笑宴』(はとにさんしれいじゃのさかもり)(いずれも自画)
  • 1800年(寛政12年):黄『稚衆忠臣蔵』(こども…、わかしゅ…):塩冶浪人たちが高師直と和解して終わる異色の内容[3]、黄『木下陰狭間合戦』/狂歌絵本『夷曲東日記』(いきょくあずま…)(いずれも自画)
  • 1801年(享和元年):黄『敵打巌流島』(自画)/洒『恵比良濃梅』(一楽亭栄水画)
  • 1802年(享和2年):黄『美男狸金箔』(いろおとこ…)(自画)、黄『聞風耳学問』(喜多川歌麿画)/稽『浮世道中 膝栗毛』/洒『商内神』(自画)、洒『吉原談語』(自画)、洒『倡客竅学問』(しょうかくあな…)(自画)/読『深窓奇談』、読『列国怪談聞書帖』(勝川春章勝川春英画)/噺本『落咄臍くり金』(自画)/狂歌入紀行『南総記行 旅眼石』(…たびすずり)
  • 1803年(享和3年):稽『道中膝栗毛 後篇』/読『怪物與論』(いずれも自画)
  • 1804年(文化元年):黄『五三桐山後篇 跡着衣装』(喜多川喜久麿画)、黄『怪物太平記(化物太平記)』(自画)/稽『風流 田舎草紙』(自画)、稽『東海道中 膝栗毛 三編』、稽『諸用附会案文』(…こじつけ…)、稽『教訓角力取艸』(喜多川喜久麿画)/絵本『吉原青楼年中行事』(歌麿画)
  • 1805年(文化2年):黄『滑稽しっこなし』(じょうだん…)(喜多川月麿画)、黄『五三桐山三編 操染心雛形』(月麿画)/稽『東海道中 膝栗毛 四編』/洒『倡売往来』(自画)
  • 1806年(文化3年):黄『串戯しっこなし 後編』(じょうだん…)(自画)、黄『嵐山花仇討』(自画)/稽『東海道中 膝栗毛五編』/読『浪花鳥梅』(月麿画)、読『復讐奇談天橋立』(歌川豊国画)
  • 1807年(文化4年):稽『東海道中 膝栗毛六編』/読『風恋夜話 翁丸物語』(蹄斎北馬画)/合『諏訪湖狐怪談』前編(勝川春亭画)、合『欲皮千枚帳』(月麿画)
  • 1808年(文化5年):稽『東海道中 膝栗毛 七編』/読『孝子美談 白鷲塚』/合『諏訪湖狐怪談』後編(春亭画)、合『質流人の行末』(春英画)、『妖怪一年草』(春英画)/噺『落咄 曲形瓢』(北川美丸画)、噺『江戸前噺鰻』(二世恋川春町画)、噺『落咄 春雨夜話』(美丸画)
  • 1809年(文化6年):稽『東海道中 膝栗毛 八編』、稽『滑稽 江の島土産 初編』(春亭画)/合『串戯狂言一夜附』(ちゃばん…)(自画)
  • 1810年(文化7年):稽『続膝栗毛 初編』、稽『滑稽 江の島土産 二編』(月麿画)、稽『同 三編』(春亭画)、『於都里伎』、『男作三箇羅太鼓』
  • 1811年(文化8年):稽『続膝栗毛 二編』
  • 1812年(文化9年):稽『続膝栗毛 三編』
  • 1813年(文化10年):稽『続膝栗毛 四編』/合『洪福水揚帳』(月麿画)、合『方言修行 金草鞋 初編』(江戸見物)(月麿画)、合『同二編』(東海道中)(月麿画)、合『同三編』大坂京見物(月麿画)
  • 1814年(文化11年):稽『東海道中 膝栗毛 発端』、稽『続膝栗毛 五編』/合『成程根殻一九作』(歌川国丸画)、合『金草鞋 四編』(西海道中)(美丸画)、合『同五編』(木曾街道)(月麿画)、合『同六編』(奥州路)(歌川国安画)、合『同七編』(仙台まで)(国丸画)/文例集『女用文色紙染』(…ぶんしょう…)(改訂)
  • 1815年(文化12年):稽『続膝栗毛 六編』、稽『秋葉山鳳来寺 一九之紀行』(…がみちゆき)/読『通俗巫山夢』(春亭画)/合『金草鞋 八編』(越後路)(歌川国信画)
  • 1816年(文化13年):稽『続膝栗毛 七編』、『同 八編』/合『金草鞋 九編』(西国八十八所巡礼)(歌川国直画)
  • 1817年(文化14年):合『金草鞋 十編』(坂東八十八所巡礼)(美丸画)
  • 1818年(文政元年):合『金草鞋 十一編』(秩父巡礼)(国丸画)
  • 1819年(文政2年):稽『続膝栗毛 九編』/合『金草鞋 十二編』(身延山道中)(月麿画)/情『清談峯初花』初編/絵入り草子本『信州水澤観音利益雜食橋由來』(歌川國虎画)
  • 1820年(文政3年):稽『続膝栗毛 十編』/合『金草鞋 十三編』(善光寺草津道中)(月麿画)/紀行『一九牧山秋山紀行』(共著)/文例集『婦人手紙の文言』
  • 1821年(文政4年):稽『続膝栗毛 十一編』/合『金草鞋 十四編』(四国遍路)(月麿画)/情『清談峯初花』後編
  • 1822年(文政5年):稽『続膝栗毛 十二編』/読『遠の白浪』/合『金草鞋 十五編』(東都八十八所巡礼)(美丸画)/情『浮世清濁 水かがみ』(英泉画)
  • 1824年(文政7年):合『金草鞋 十六編』(二十四輩旧跡巡礼)(美丸画)/人情本『朧月夜』初編(英泉画)
  • 1827年(文政10年):合『金草鞋 十七編』(小湊参詣)(国直画)
  • 1828年(文政11年):合『金草鞋 十八編』(立山参詣)(国安画)
  • 1829年(文政12年):合『金草鞋 十九編』(白山参詣)(二世北尾重政画)
  • 1830年(天保元年):合『金草鞋 二十編』(湯殿月山羽黒山参詣)(国安画)
  • 1831年(天保2年):合『金草鞋二十一編』(南部路之記)(国信画)
  • 1832年(天保3年):合『金草鞋二十二編』(伊豆紀行)(国信画)
  • 1833年(天保4年):合『金草鞋二十三編』(江の島鎌倉箱根七湯めぐり)(国安画)、合『同二十四編』(讃州金比羅)(美丸画)(遺稿)

肉筆浮世絵

[編集]
  • 「行列奴図」 紙本淡彩 熊本県立美術館所蔵
  • 「吉備大臣図」 紙本淡彩 熊本県立美術館所蔵

錦絵

[編集]
  • 「大童山文五郎」 大判 寛政6年
  • 「三世瀬川菊之丞の月さよ」 細判

刊本(膝栗毛以外)

[編集]
  • 『十返舎一九全集』全4巻、日本図書センター(1979年、2001年)博文館、1901年の複製
  • 鶴岡節雄校注 千秋社
    • 『十返舎一九の房総道中記』1979
    • 『十返舎一九の甲州道中記』1981
    • 『十返舎一九の江戸見物』1982
    • 『十返舎一九の箱根江の島鎌倉道中記』1982
    • 『十返舎一九の坂東秩父埼玉道中記』1983
    • 『十返舎一九の常陸道中記』1984
  • 『十返舎一九集』 中山尚夫編 古典文庫
    • 『六あみだ詣』1981
    • 『誹語堀之内詣』1982
    • 『江の島土産・一九之記行』1984
    • 『串戯二日酔・世中貧福論』1985
    • 『通俗巫山夢・雑談紙屑籠』1987
    • 『怪物輿論・田舎草紙・滑稽臍栗毛』1988
    • 『奥州道中之記・奇談双葉草・浪速烏梅侠夫湊花』1994
    • 『復讐奇語天橋立』1998
    • 『風声夜話翁丸物語 連理隻袖 名勇発功談』1999
    • 『復讐播州舞子濱 深窓奇談』2001
    • 『滑利諭言大師めくり 画本江戸名所 続膝栗毛二編追加 絵本曽我物語』
  • 『初登山手習方帖』十偏舎一九作画 『江戸の戯作絵本 第4巻 (末期黄表紙集)』小池正胤ほか編 社会思想社 1983 現代教養文庫
  • 「倡妓売舗商内神」「青楼奇談狐竇這入」「青楼起承転合・後編遊冶郎」「吉原談語・廛意気地」「倡客竅学問」「青楼松の内」十偏舎一九著『洒落本大成 21』中央公論社、1984
  • 「素見数子」『洒落本大成 22』中央公論社、1984
  • 『方言修行金草鞋』喜多川月麿画 林美一校訂 河出書房新社(江戸戯作文庫) 1984
  • 「的中地本問屋」『江戸の戯作絵本 続 巻2』現代教養文庫、1985
  • 『善光寺街道続道中膝栗毛』古谷順一郎訳 郷土出版社 1986
  • 『的中地本問屋』林美一校訂 河出書房新社(江戸戯作文庫) 1987
  • 「復仇女実語教」『中本型読本集』叢書江戸文庫 国書刊行会、1988
  • 『信濃紀行集』全3巻 郷土出版社, 1995
  • 『浮世絵春画好色東海道中膝栗毛』歌川国芳絵 三心堂出版社 1996
  • 『十返舎一九越後紀行集』下西善三郎編 郷土出版社, 1996
  • 『十返舎一九集』棚橋正博校訂 国書刊行会 1997 叢書江戸文庫
    • 心学時計草 滑稽しつこなし 串戯しつこなし 敵討余世波善津多 列国怪談聞書帖 附会案文 於都里綺 初役金烏帽子魚
  • 『方言修行金草鞋』今井金吾監修 大空社 1999

伝記など

[編集]
  • 松田修『十返舎一九 東海道中膝栗毛(日本の旅人)』淡交社 1973
  • 棚橋正博『十返舎一九 笑いの戯作者』新典社 1999 日本の作家
  • 中山尚夫『十返舎一九研究』おうふう 2002
  • 北斎漫画』(1981年、松竹、監督:新藤兼人、十返舎一九:宍戸錠

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 日本古典文学大辞典編集会『日本古典文学大辞典 第3巻』岩波書店、1984年4月、216-217頁。 
  2. ^ a b c 中央区. “中央区民文化財9 十返舎一九墓(じっぺんしゃいっくはか)”. 中央区. 2023年3月9日閲覧。
  3. ^ 『古典文学大事典』648頁「稚衆忠臣蔵」(早稲田大学図書館所蔵)

参考文献

[編集]
  • 山崎麓編『日本文学大系25 日本小説書目年表』国民図書 1929年
  • 麻生磯次校注『東海道中膝栗毛』解説 岩波書店 日本古典文学大系 1977年
  • 小池正胤「東海道中膝栗毛と十返舎一九」杉本苑子『東海道中膝栗毛』学研 現代語訳日本の古典、1980年
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年
  • 中村幸彦校注『東海道中膝栗毛』解説 小学館 新編日本古典文学全集、1995年
  • 小池正胤「十返舎一九」『国史大辞典』吉川弘文館、1996年
  • あずさ書店編集部『幻の大寺院 若沢寺を読みとく』あずさ書店、2010年

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]