ロバート・トルァックス
ロバート・トルァックス | |
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ロバート・C・トルァックス海軍大佐 (USN) | |
生誕 | 1917年9月3日 |
死没 |
2010年9月17日 (93歳没) Valley Center, California |
研究分野 | 航空宇宙 |
研究機関 |
1939–1959: アメリカ合衆国海軍 1959–1966: エアロジェット 1966– : Truax Engineering |
出身校 |
U.S. Naval Academy (BSc ME, 1939) NPS (BS Aero) Iowa State College (MS nuclear eng)[1] |
主な業績 | Skycycle X-2: "I asked Evel [Knievel] to postpone the Snake River shot until I ironed out the difficulty."[2] |
影響を 受けた人物 | ロバート・ゴダード |
補足 | |
プロジェクト:人物伝 |
ロバート・C・トルァックス(Robert C. Truax)海軍大佐(1917〜2010)は米海軍およびエアロジェット社のロケット技術者でトルァックスエンジニアリング社の創設者でもある。
いわゆる「ビッグ・ダム・ブースターBig Dumb Booster」コンセプト提唱者の一人であり、様々な低価格のロケットエンジンやロケットヴィークルの提案を行なった。[3][4][5][6]
10代の頃にポピュラーメカニクス誌のロバート・ゴダードの記事に触発されて自らもロケットを作ろうとした。士官候補生だったの1936年̃から1939年の間、液体燃料ロケットモータの実験を行ない1939年2月の「Astronautics」誌に論文を発表した。[7]
1938年に自作したロケット燃焼室を英国惑星間協会(British Interplanetary Society)に披露し、その技術論文は米国ロケット協会によって出版された。
2年間の海上勤務(空母エンタープライズ (CV-6) と駆逐艦)を経た後、少佐となったトルァックスはアナポリスの海軍航空局(Bureau of Aeronautics (BuAer)) 艦上装備部内の工学試験所に勤務した。[7]
そこで自然着火性燃料(ハイパーゴリック:硝酸と接触する事で発火する)を発見したチームを率いてWACコーポラル(※1945年に完成した初の観測用ロケット)用のアニリン+20%フルフリルアルコール混合燃料を開発した。[8]
1943年頃には固体燃料のJATOに先駆けて推力1500lbf(6.7kN)の液体燃料JATOを開発。[9]
1955年から1958年にかけて空軍システム軍団のバーナード・シュリーバー中将の下に配属され、アドルフ・シェール博士と共にPGM-17 ソーIRBMの基礎研究を行なった。「シービー」、「シーホース」海上(半水没)発射式ロケットの研究も行なっていた。 1957年に米国ロケット協会の会長に就任した後、1959年に海軍を退役した。
退役後はエアロジェット社の先進開発部門で(「シービー」、「シーホース」の発展型である)シードラゴンロケット計画を進めた。[10]
2010年9月17日に前立腺がんによりカルフォルニアの自宅で息を引き取る。[11][12]
1966年、トルァックス・エンジニアリング社を設立。シードラゴンの後継となる海上発射方式ロケット(エクスカリバー、エクスカリバーS、SEALAR)の研究を継続して行なった。[13]
脚注
[編集]- ^ "Truax, Robert C". The Internet Encyclopedia of Science. daviddarling.info. 2008年6月15日閲覧。
- ^ a b Stein, Kathleen (October 1979). “One Man Rocket: World's First Private Spaceship Readies for Take-Off”. Omni: 45–64 of The Omni Book of Space. オリジナルの2008-06-26時点におけるアーカイブ。 2006年6月16日閲覧。.
- ^ “AIAA Mourns the Death of Capt. Robert C. Truax”. 2010年9月21日閲覧。
- ^ T. Rees Shapiro. “Rocket scientist Robert C. Truax, who built ship for Evel Knieval, dies at 93”. Washington Post 2010年9月29日閲覧。
- ^ DOUGLAS MARTIN (September 29, 2010). “Robert Truax, a Top Rocket Scientist, Is Dead at 93”. the New York Times
- ^ Keith Thursby. “Robert C. Truax dies at 93; rocket pioneer aided daredevil Evel Knievel's 1974 canyon jump”. Los Angeles Times 2010年9月30日閲覧。
- ^ a b Braun, Wernher von (Estate of); Ordway III; Frederick I (1985) [1975]. Space Travel: A History. & David Dooling, Jr.. New York: Harper & Row. pp. 83, 101. ISBN 0-06-181898-4
- ^ Ley, Willy (1958) [1944]. Rockets, Missiles and Space Travel (Revised ed.). New York: The Viking Press. p. 252
- ^ Stein, Kathleen (October 1979). “One Man Rocket: World's First Private Spaceship Readies for Take-Off”. Omni: 45–64 of The Omni Book of Space. オリジナルの2008-06-26時点におけるアーカイブ。 2006年6月16日閲覧。.
- ^ Thursby, Keith (September 30, 2010). “Robert C. Truax dies at 93; rocket pioneer aided daredevil Evel Knievel's 1974 canyon jump”. Los Angeles Times
- ^ Martin, Douglas (September 29, 2010). “Robert Truax, a Top Rocket Scientist, Is Dead at 93”. New York Times
- ^ "Truax". Encyclopedia Astronautice.