コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

レオ・キヌーネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レオ・キンヌネンから転送)
レオ・キヌーネン
1966年
基本情報
フルネーム レオ・ユハニ・キヌーネン
国籍  フィンランド
出身地  フィンランドピルカンマー県タンペレ
生年月日 (1943-08-05) 1943年8月5日
没年月日 (2017-07-26) 2017年7月26日(73歳没)
F1での経歴
活動時期 1974
過去の所属チーム '74 AAWレーシング(ノンワークスブラバム
出走回数 6 (1スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1974年ベルギーGP
最終戦 1974年イタリアGP
テンプレートを表示

レオ・ユハニ・"リクサ"・キヌーネンLeo Juhani "Leksa" Kinnunen 1943年8月5日 - 2017年7月26日[1]は、フィンランドレーシングドライバー。フィンランド初のF1ドライバーとなった。

人物

[編集]

当初は2輪で活躍していたが、免許取得後4輪に転向した。フィンランドのラリー選手権にて活躍し、1974年にはF1に進出した。サーティースのマシンで参戦するAWAレーシングのシートを獲得。フィンランド初のF1ドライバーとなった。F1のポイント獲得はならなかったが、その後もスポーツカーレースで活躍。ニュルブルクリンク1000kmレースで優勝し、ル・マン24時間レースにも参戦した。世界ラリー選手権にも参戦経験を持つ。

補足

[編集]

1971年には、ヨッヘン・リントの助けも借りて、ロータスとも交渉をしていたが、資金の問題で折り合いがつかず、リントもモンツァ・サーキットで事故死してしまい、シートを得るには至らなかった[2]

レース成績

[編集]

F1

[編集]

Key

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC ポイント
1974 AAWレーシングチーム サーティース TS16 フォード V8 ARG BRA RSA ESP BEL
DNQ
MON SWE
Ret
NED FRA
DNQ
GBR
DNQ
GER AUT
DNQ
ITA
DNQ
CAN USA NC 0

WRC

[編集]
エントラント 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 WDC ポイント
1973 レオ・キヌーネン ポルシェ・カレラ MON SWE POR KEN MOR GRE POL FIN
3
AUT ITA USA GBR FRA N/A N/A
1974 フィアットS.p.A. フィアット・アバルト・124ラリー MON
C
SWE
C
POR KEN GRE
C
FIN
6
N/A N/A
フィアット ITA CAN USA GBR
14
FRA
1977 レオ・キヌーネン ポルシェ・911 MON SWE POR KEN NZL GRE FIN
Ret
CAN ITA FRA GBR - 0
1979 レオ・キヌーネン ポルシェ・911 MON SWE POR KEN GRE NZL FIN
Ret
CAN ITA FRA GBR CIV - 0
1981 レオ・キヌーネン ポルシェ・911 SC MON SWE POR KEN FRA GRE ARG BRA FIN
Ret
ITA CIV GBR - 0
1982 レオ・キヌーネン ポルシェ・911 SC MON SWE POR KEN FRA GRE NZL BRA FIN
Ret
ITA CIV GBR - 0

ル・マン24時間レース

[編集]
チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 Pos. Class
Pos.
1970 イギリスの旗 JWオートモーティヴ・エンジニアリングLtd. メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス ポルシェ・917K S
5.0
22 DNF DNF
1976 ドイツの旗 エゴン・エバーツ K.G. ドイツの旗 エゴン・エバーツ ポルシェ・908/3 Turbo Gp.6
3.0
124 DNF DNF

参考文献

[編集]
  1. ^ Ensimmäinen suomalainen F1-kuljettaja Leo Kinnunen on kuollut” (Finnish). Ilta-Sanomat (26 July 2017). 26 July 2017閲覧。
  2. ^ 8W - Who? - Leo Kinnunen”. www.forix.com. 2020年12月15日閲覧。

外部リンク

[編集]