ルイス・ガルシア (1978年生の内野手)
東北楽天ゴールデンイーグルス時代 (2012年3月20日、横浜スタジアムにて) | |
基本情報 | |
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国籍 | メキシコ |
出身地 | ハリスコ州グアダラハラ |
生年月日 | 1978年11月5日(46歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 180 lb =約81.6 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1996年 アマチュアFA |
初出場 | NPB / 2011年6月9日 |
最終出場 | NPB / 2012年10月2日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | メキシコ |
WBC | 2006年、2013年 |
この表について
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獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
メキシコ | ||
パンアメリカン競技大会 | ||
銅 | 2007 |
ルイス・アルフォンソ・ガルシア・エチェバリア(Luis Alfonso García Etxebarria , 1978年11月5日 - )は、メキシコ合衆国ハリスコ州出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
経歴
[編集]MLB傘下時代
[編集]1996年に、投手としてボストン・レッドソックスと契約。
1998年から打者に転向した。
2001年まで、傘下のマイナーチームでプレーした。その後はセントルイス・カージナルス、クリーブランド・インディアンス、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・メッツを渡り歩いた。
2004年にドジャース傘下AAA級ラスベガスで、打率.314、32本塁打、95打点の成績を残し、メキシコウインターリーグにおいて2008年から2010年の間、3季連続で本塁打王に輝いた。
メキシカンリーグ時代
[編集]2006年開幕前の3月に第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメキシコ代表に選出された。2006年以降は、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレーしている。
楽天時代
[編集]2011年6月7日、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団[1]。2日後に一軍初昇格。来日初打席でセンター前ヒットを放った。当初は中々成績を残せず、スタメン落ちする試合が多かった。しかし徐々に日本の野球に順応し始め、8月頃から一塁手のレギュラーとして中軸を任されるようになった。山崎武司が不振でスタメンを外されるようになってからはシーズン閉幕まで4番に座り、打率.261、8本塁打、34打点という成績を残した。
2012年シーズン開幕直後、夫人の第2子出産に立ち会うため、4月3日に出場選手登録を抹消されて一時帰国[2]。再び日本に戻った後は、二軍で数試合の調整出場を経て一軍復帰。4番から7番までのいずれかの打順を、主に指名打者にて任されている。6月22日、福島県郡山市のホテルで着替え中にぎっくり腰になり、登録抹消となった[3]。復帰後、全く打てなくなってしまい最終的に77試合出場、打率.227、7本塁打と不本意なシーズンだった。11月21日、自由契約選手として公示された[4]。
メキシカンリーグ復帰
[編集]2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのメキシコ代表に選出された[5]。この年からメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズに復帰。
2015年3月27日にユカタン・ライオンズへ移籍した。
2017年3月23日にメキシコシティ・レッドデビルズへ移籍。背番号は18。
2018年は、オアハカ・ウォーリアーズとドゥランゴ・ジェネラルズでプレーした[6]。
選手としての特徴
[編集]広角に打ち返す打撃を見せる[7]。
かつては種田仁を彷彿とさせるガニ股打法だったが、2012年シーズン終盤からは重心を高くしたフォームになっている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2011 | 楽天 | 88 | 316 | 287 | 27 | 75 | 11 | 0 | 8 | 110 | 34 | 1 | 1 | 0 | 5 | 22 | 0 | 2 | 79 | 7 | .261 | .313 | .383 | .697 |
2012 | 77 | 296 | 269 | 20 | 61 | 12 | 0 | 7 | 94 | 30 | 0 | 1 | 0 | 2 | 23 | 0 | 2 | 65 | 6 | .227 | .291 | .349 | .640 | |
通算:2年 | 165 | 612 | 556 | 47 | 136 | 23 | 0 | 15 | 204 | 64 | 1 | 2 | 0 | 7 | 45 | 0 | 4 | 144 | 13 | .245 | .302 | .367 | .669 |
- 2019年度シーズン終了時
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
一塁 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2011 | 楽天 | 59 | 426 | 21 | 5 | 35 | .989 |
2012 | 9 | 61 | 3 | 0 | 5 | 1.000 | |
通算 | 68 | 487 | 24 | 5 | 40 | .990 |
- 2019年度シーズン終了時
記録
[編集]- NPB
- 初出場:2011年6月9日、対横浜ベイスターズ4回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回表に横川史学に代わり一塁手で出場
- 初打席・初安打:同上、7回裏に江尻慎太郎から中前安打
- 初先発出場:2011年6月11日、対中日ドラゴンズ3回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、6番・一塁手で先発出場
- 初本塁打・初打点:2011年6月15日、対広島東洋カープ3回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にブライアン・バリントンから左越2ラン
- 初盗塁:2011年8月5日、対北海道日本ハムファイターズ11回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、6回裏に二盗(投手:ボビー・ケッペル、捕手:鶴岡慎也)
背番号
[編集]- 50 (2011年 - 2012年)
代表歴
[編集]- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表
- 2007年パンアメリカン競技大会野球メキシコ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表
脚注
[編集]- ^ ルイス・アルフォンソ・ガルシア選手との契約合意に関して 東北楽天ゴールデンイーグルス
- ^ “楽天4番が“離脱”…夫人出産でメキシコに帰国”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月3日). 2012年4月5日閲覧。
- ^ 楽天 ガルシア 着替えでぎっくり腰 登録抹消 - スポニチ Sponichi Annex 2012年6月22日
- ^ 2012年度 自由契約選手2012年11月21日 日本野球機構公式サイト
- ^ メキシコ選手一覧
- ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=garcia002lui
- ^ 『プロ野球カラー名鑑2012』ベースボール・マガジン社、2012年、121頁。ISBN 978-4-583-61828-9。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Luis Alfonso Garcia stats MiLB.com
- 個人年度別成績 ガルシア - NPB.jp 日本野球機構