コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

リッチー・コッツェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リッチーコッツェンから転送)
リッチー・コッツェン
Richie Kotzen
リッチー・コッツェン(2011年)
基本情報
生誕 (1970-02-03) 1970年2月3日(54歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
ジャンル ブルース・ロックハードロックジャズフュージョンファンク
職業 シンガーソングライターギタリスト
担当楽器 ギターボーカルピアノ
活動期間 1989年 -
共同作業者 ポイズンMR. BIGザ・ワイナリー・ドッグス
公式サイト richiekotzen.com

リッチー・コッツェン(Richie Kotzen、1970年2月3日 - )は、アメリカギタリストボーカリストミュージシャン作曲家ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。

略歴

[編集]

1970年2月3日アメリカペンシルベニア州レディングで生まれる。5歳の頃よりピアノを弾き始め、7歳のときにKissジーン・シモンズに刺激されギターを弾き始める。

17歳の頃にはオープニングアクトでギタリストとして全米を回り、500を超えるライブをこなしていた。

1989年、19歳の時シュラプネル・レコーズから『リッチー・コッツェン』でデビュー。同レコードは当時テクニカルな若手ギタリストを探しており、その過程でリッチーに白羽の矢が立ったと言える。翌年には『フィーヴァー・ドリーム』 、更に翌1991年には『エレクトリック・ジョイ』とハイペースでの活動がスタートする。

1992年に、脱退したC・C・デヴィルの穴を埋める形でポイズンに加入。アルバム『ネイティヴ・タン』を1993年にリリースするも、メンバーとの不和によりバンドを脱退。

その後1994年にR&B色の強いHRでトリオ名義の『マザー・ヘッズ・ファミリー・リユニオン』、1995年にフュージョン色の強い『ジ・インナー・ギャラクティック・フュージョン・エクスペリエンス』、1996年にファンク色の強い『ウェイヴ・オブ・エモーション』、1997年にブルース色の強い『サムシング・トゥ・セイ』を立て続けに発表し、その合間にもグレッグ・ハウと2枚のアルバムを発表している。

ポイズン脱退後はしばらくソロ活動を続けていたリッチーだったが、1999年にスタンリー・クラークからの「歴史に残るようなフュージョンのアルバムを作りたい」との誘いにより、「Vertú(ヴァーツゥ)」に参加し、同年にアルバム『Vertú(ヴァーツゥ)』をリリース。同年、ポール・ギルバートが脱退したMR. BIGから加入の要請を受け、バンドに参加する。

2002年にMR. BIGが日本での解散ツアーを以って解散した後は再びソロ活動に戻っている。同年にはロサンゼルスにてビルを購入してレコーディングスタジオを開設している。

2006年にレコーディング・スタジオをブリンク 182トラヴィス・バーカーに売却。

2006年、ローリング・ストーンズ来日公演の前座を務めた。MR. BIG時代の楽曲や『機動戦士Ζガンダム』の主題歌のカヴァー等、幅広い選曲で、この時のライブにはビリー・シーンも帯同した。

2013年、ビリー・シーンマイク・ポートノイと共にザ・ワイナリー・ドッグスを結成[1]

音楽性

[編集]
  • 幼い頃にファンクソウルの影響を受ける一方、ロックジャズといった幅広い音楽性を持つ。ギタリストとして広く知られているが、ソウルフルなボーカリストとしても非凡な才能の持ち主である。キャリアの大半はギタリストとしてよりもソロ・アーティストとしての活動が中心である。その幅広い音楽性とさりげなく聴かせる高度なギターテクニックからしばしば「名手」と呼ばれる。
  • ギターテクニックの面では、アラン・ホールズワースを彷彿させる流れるようなレガート(ピッキングをしないで左手のフィンガリングによって音を奏でる奏法)による速弾きスウィープが大きな特徴といえる。また、右手人差し指、あるいは中指(時には薬指)を使って指板を叩くライトハンド奏法(タッピング)を駆使することもよくあるが、フル・ピッキングの速弾きはあまり得意ではないとギタークリニックなどで語っている(実際には初期の頃はテクニックに重視しがちで、フルピッキングを用いた演奏も少なくなかった。現在では確かにそのプレイの使用頻度は少なくなってきている)。さらには、ピック弾きしながら残りの指でをはじくといったジェフ・ベックのようなプレイスタイルも兼ね備えており、どのプレイをしても安定した多種多様のパフォーマンスを展開している。
  • 高度なギターテクニックの持ち主に似合わずテクニックに傾倒せず、楽曲ありきというスタイルで、ジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンに近く、エモーショナル面に重きが置かれている。控えめではありながらも高度なテクニックをところどころに織り混ぜ、メロウな音作りと相まって楽曲の一部として、さりげなく自然に聴かせる部分に「名手」の所以と彼のミュージシャンとしてのスタンスが見られる。
  • エレクトリック・ギターフェンダー製のギター、特にテレキャスターを主に使用しており、ポイズン時代にカスタムショップで製作したモデルを元にしたフェンダー・ジャパン製のシグネチュアモデルをメインに使用している。なお、このモデルは現在日本のみならず米国でも市販されている。その他、ストラトキャスターの使用頻度も高い。またアコースティック・ギターはクレモナ・ブルガリア社から自身のモデルが販売されている。
  • MR. BIG加入の際に、前任のポールのオリジナリティあふれるギターフレーズを弾くにあたって、そのフレーズそのものは崩さずに自身の色を加えてアレンジを行った。後に雑誌のインタビューで「ポールの書いた曲のフレーズはロックの中でも最も有名なフレーズの一つだったから、崩さずに自分なりに弾くのは大変だった」と語っている。
  • リッチーの所有するスタジオにcharが訪問したときの対談でリッチーは、「初期にエリック・クラプトン、後にヴァン・ヘイレンやスティーブ・ヴァイ等からの影響を受けた」と語っている。その他、ジェイソン・ベッカーの影響も受けたと語っている。
  • ギター、ボーカルのみならず、レコーディングではキーボードベースのほか、ドラムまで一通りこなすマルチプレーヤーでもある。スティーヴィー・サラスのライブにベースで参加したこともある。
  • 初期の頃のスタイルに関して批判をする様な発言をしていた時期もあり、『マザー・ヘッズ・ファミリー・リユニオン』(1994年)が自身のファースト・アルバムと発言している。

人物

[編集]
  • 当時シングルで全米ナンバー1にもなった実績のある人気ロックバンド、ポイズンに在籍中、ドラマーのリッキー・ロケットの婚約者を略奪し、その後バンド内でのいざこざのためクビになった。2人は結婚し、オーガスト(August)と年の離れた双子リッキーとドナ(Ricky、Donna)をもうけるが後に離婚。前妻が別の男性と結婚することになったので、子供は3人ともリッチーが引き取り、現在はオーガストとだけ暮らし双子の2人は母親に預けている。後に彼は当時のことを「素晴らしい娘に恵まれたし後悔はしていない」と語っている。
  • 発言に関しては言うことが何度も変わる。フォーティー・デュース(Forty Deuce)を組んだ際にも「やっと自分のバンドが持てた」などと発言するが後に「あれはただのプロジェクト」などと発言した。自身のシグネチャーモデルの販売に関しても「次はハムバッキング搭載のギターを出す」と発言した後に「以前発売していたストラトキャスターの再発売をかけあっている」などと変わる。2006年に発売した『機動戦士ガンダム』のカバー・アルバムについて、SHOW-YA寺田恵子になぜガンダムのカバーなのかという質問を受けた際には「あの時は狂っていたんじゃないかな」と語った。
  • マネージャーは実父である。
  • 某番組のパーソナリティーが「彼は風呂に入らないらしい」という発言をし物議を醸したが、彼は風呂嫌いでも極端な潔癖症でもない。
  • プリンスの大ファンであり、前妻と共演した「Wave of Emotion」のPVではそれらしきメイク姿が見られる。
  • 好きな食べ物はカレーライスから揚げ
  • プライベートやステージ上では、まれに某ディスカウントストアで購入して来たかのような個性的な服装をすることがある。

ディスコグラフィ

[編集]

スタジオ・アルバム

[編集]
  • 『リッチー・コッツェン』 - Richie Kotzen (1989年)
  • 『フィーヴァー・ドリーム』 - Fever Dream (1990年)
  • 『エレクトリック・ジョイ』 - Electric Joy (1991年)
  • 『マザー・ヘッズ・ファミリー・リユニオン』 - Mother Head's Family Reunion (1994年)
  • 『ジ・インナー・ギャラクティック・フュージョン・エクスペリエンス』 - The Inner Galactic Fusion Experience (1995年)
  • 『ウェイヴ・オブ・エモーション』 - Wave of Emotion (1996年)
  • 『サムシング・トゥ・セイ』 - Something to Say (1997年)
  • 『ホワット・イズ…』 - What Is... (1998年)
  • 『バイ・ポーラー・ブルース』 - Bi-Polar Blues (1999年)
  • 『ブレイク・イット・オール・ダウン』 - Break It All Down (1999年)
  • 『スロー』 - Slow (2001年)
  • 『チェインジ』 - Change (2003年)
  • 『アコースティック・カッツ』 - Acoustic Cuts (2003年)
  • 『ゲット・アップ』 - Get Up (2004年)
  • 『哀 戦士・Z×R』 - Ai Senshi Z×R (2006年) ※日本アニメガンダムシリーズ』の楽曲をアレンジした作品。ベーシストビリー・シーンも参加している。
  • Into The Black (2006年)
  • 『リターン・オブ・ザ・マザー・ヘッズ・ファミリー・リユニオン』 - Go Faster/Return of the Mother Head's Family Reunion (2007年)
  • 『ピース・サイン』 - Peace Sign (2009年)
  • 24 Hours (2011年)
  • 『カニバルズ』 - Cannibals (2015年)
  • Salting Earth (2017年)
  • 50 for 50 (2020年)
  • Smith/Kotzen (2021年) ※with エイドリアン・スミス

バンド、プロジェクト

[編集]

ポイズン

  • 『ネイティヴ・タン』 - Native Tongue (1993年)
  • 『セブン・デイズ・ライヴ〜ライヴ・アット・ハマースミス・アポロ1993』 - Seven Days Live (2008年)

リッチー・コッツェン&グレッグ・ハウ

  • 『ティルト』 - Tilt (1995年)
  • 『プロジェクト』 - Project (1997年)

Vertú(ヴァーツゥ)

MR. BIG

フォーティー・デュース

  • 『ナッシング・トゥ・ルース』 - Nothing to Lose (2005年)

ウィルソン・ホーク

  • The Road (2009年)

ザ・ワイナリー・ドッグス

  • 『ザ・ワイナリー・ドッグス』 - The Winery Dogs (2013年)
  • 『ホット・ストリーク』 - Hot Streak (2015年)
  • 『スリー』 - III (2023年)

参加アルバム

[編集]

日本公演

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Monger, James Christopher. The Winery Dogs Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2022年1月13日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]