リチャード・ミドルトン・ハーンドン
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(リチャード・M・ハーンドンから転送)
リチャード・ミドルトン・ハーンドン(Richard Middleton Herndon, 1919年10月21日 - 2014年2月2日[1])は、アメリカ合衆国の外交官。
生涯
[編集]1919年にペンシルバニア州フィラデルフィアで誕生[2]。父親はジョン・グッドウィン・ハーンドン (John Goodwin Herndon)[3]、母親はグレイス・コーデリア・ミドルトン (Grace Cordelia Middleton)[3]。
ロウアーメリオン高校を卒業[2]。1941年にワシントン・アンド・リー大学で学士号を取得[2]。
1941年12月11日、国務省に事務官として俸給年額2000ドルで入省[2]。1942年6月10日に退職し、アメリカ陸軍に入隊[2]。1942年から1946年まで陸軍に所属し、中尉として海外派兵[2]。
1946年1月17日に再び国務省入りし、副領事付外交官補としてカナダのモントリオールに配属[2]。1946年2月27日に副領事付外交官[2]。1946年3月8日に副領事[2]。1947年6月3日より国務省本省勤務[2]。
1947年6月よりイェール大学に日本語および地域研究の教師として派遣[2]、1947年9月よりハーバード大学に派遣[2]。1948年7月28日より在東京大使館で語学官[2]。1950年2月4日より在東京大使館で二等書記官兼副領事[2]。 1956年から1960年まで在福岡領事館で首席領事[4]。
出典
[編集]- ^ Deaths In Central Florida
- ^ a b c d e f g h i j k l m n United States. Dept. of State (1950). Register of the Department of State. April 1, 1950. Office of Public Affairs, Department of State. p. 231
- ^ a b Harrison, Bruce. The Family Forest Descendants of Lady Joan Beaufort. Millisecond Publishing Company, Inc. p. 2248
- ^ “Principal Officers, the U.S. Consulate, Fukuoka”. U.S. Department of State. 2013年1月1日閲覧。
公職 | ||
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先代 ジェームス・V・マーティン・Jr. |
在福岡米国領事館首席領事 1956年 - 1960年 |
次代 リチャード・ウィルソン・ペトリー |