コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

リチャード・リー・スナイダー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リチャード・リー・スナイダー(Richard Lee Sneider, 1922年 - 1986年8月16日)は、アメリカ合衆国外交官国務省にて30年以上を過ごし、アメリカ合衆国の東アジア政策に関与した[1]。リチャード・L. スナイダーとも[2]

生涯

[編集]

ニューヨーク州ニューヨーク出身。1943年にブラウン大学を卒業[1]。1948年にコロンビア大学で修士号を取得[1]。1943年から1946年まで陸軍士官[1]

国防大学での勤務を経て、国務省に外交官として入省[3]カラチ大使館政治参事官[3]極東局北東アジア部日本課長(1958年-1961年)[4]東アジア・太平洋局日本部長(1966年-1969年)[3][5]国家安全保障会議上級補佐官(1969年5月-1969年9月)[3][6]、駐日首席公使(1969年9月-1972年7月)[3][7]、東アジア・太平洋担当国務次官補代理(1972年8月-1974年)[3][6]を歴任。第二次世界大戦後の沖縄返還に関するアメリカ側の協議者として、日本との交渉を主導した[1]。1974年9月から1978年6月までは駐韓大使[8]。米韓間の通商拡大、対韓軍事援助、コリアゲート事件などの対韓事案に対処した[9]

1986年、バーモント州ブラントンの避暑邸にて、癌により死去[9]

備考

[編集]
  • 日米合同委員会にも出席したことがあり、米軍が日本官僚に指示を与える関係を「占領中にできた異常関係をやめるべきだと」発言している[10]

注釈

[編集]
  1. ^ a b c d e “Richard Sneider” (英語). The News-Journal: p. 12A. (1986年8月16日) 
  2. ^ リチャード・L. スナイダーとはコトバンク
  3. ^ a b c d e f Harvard University Institute of Politics - Richard Sneider” (英語). Harvard University Institute of Politics. 2010年9月27日閲覧。
  4. ^ 秦郁彥 (2001). 世界諸国の制度・組織・人事, 1840-2000. 東京大学出版会. p. 615 
  5. ^ United States Department of State (2006) (英語). Foreign Relations of the United States, 1964-1968. Japan (in two parts). Volume XXIX, Part 2. Washington: United States Government Printing Office. pp. Page xxviii. ISBN 0-16-072509-7 
  6. ^ a b United States Department of State (2010) (英語). Foreign Relations of the United States, 1969-1976. Korea. Volume XIX. Washington: United States Government Printing Office. pp. Page xxvi. ISBN 978-0-16-077108-8 
  7. ^ 歴代駐日米国大使”. 在日米国大使館. 2010年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月27日閲覧。
  8. ^ Richard Lee Sneider (1922-1986)”. U.S. Department of State. 2010年9月27日閲覧。
  9. ^ a b “RICHARD SNEIDER, EX-DIPLOMAT, DIES” (英語). The New York Times: p. 28. (1986年8月16日) 
  10. ^ 『知ってはいけない──隠された日本支配の構造』講談社BOOK倶楽部公式ホームページの4コマ漫画にて
公職
先代
-
アメリカ合衆国国務省極東局北東アジア部日本課長
1958年1月 - 1961年8月
次代
ロバート・アップルトン・フィアリー
先代
リチャード・ウィルソン・ペトリー
(東アジア部日本課長)
アメリカ合衆国国務省東アジア・太平洋局日本部長
1966年8月 - 1968年8月
次代
リチャード・ボズウェル・フィン
外交職
先代
フィリップ・チャールズ・ハビブ
在大韓民国アメリカ合衆国大使
1974年9月18日 - 1978年6月21日
次代
ウィリアム・ヘンリー・グレイスティーン