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理塘県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リタン県から転送)
中華人民共和国 四川省 理塘県
チャムチェン・チョェコルリン寺
チャムチェン・チョェコルリン寺
チャムチェン・チョェコルリン寺
理塘県の位置
理塘県の位置
理塘県の位置
簡体字 理塘
繁体字 理塘
拼音 Lĭtáng
カタカナ転写 リータン
チベット語 ལི་ཐང་རྫོང
ワイリー方式 Li thang
蔵文拼音 Litang
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
四川
自治州 カンゼ・チベット族自治州
行政級別
面積
総面積 13,677 km²
人口
総人口(2004) 5 万人
経済
電話番号 0837
郵便番号 624300
行政区画代碼 513334
公式ウェブサイト http://gzlt.gov.cn/

理塘県(りとう-けん、リタン、li thang)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州西南部に位置する

チベットの仏教史上重要な人物がリタンの地で生まれている。ダライ・ラマ7世(ケルサン・ギャツォ)、ダライ・ラマ10世(ツルチム・ギャツォ)、モンゴルの活仏ジェプツンダンバ・ホトクトラプラン寺のジャムヤン・シェパ5世などが主な人物である。チャムチェン・チョェコルリン寺など重要な寺院もある。

地理

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リタンの町は海抜4,014mという高原地帯にあり、チベットの主都ラサより400m高所にあり世界でも最も高い場所にある街の一つである[1] 。町の周りは開けた草原地帯で、その周囲は雪をかぶった高山に囲まれている。

歴史

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元の至元九年(1272年)に李唐州を置き、後に奔不児亦思剛招討使司(万戸府)を置く。至元二十五年(1288年)に食糧総管府が設置された。明により里塘宣撫司を置き、後に兀東思麻千戸所となった。明末清初は固始汗属地であった。清の康熙四十八年(1709年)に正副営官が設置され、青海岱慶和碩斉部に属した。康熙五十八年(1719年)、里塘の各土司はすべて戸籍を呈して食糧を納め、四川省に付属した。雍正七年(1729年)に里塘正副宣撫司を置き、打箭炉庁所属、乾隆五十七年(1792年)に食糧事務委員を設置した。光緒二年(1876年)に改土帰流、里化県を置き、光緒三十二年(1906年)に順化県を置き、光緒三十四年(1908年)に里化庁を改め、稲堤(稲城)・定郷(郷城)・順化(理塘)などの県を管轄した。宣統3年(1911年)に里化府に昇格した。民国二年(1913年)、里化府は廃止され、理化県を置き、川辺特別行政区に属し、民国十四年(1925年)、西康省西康道に改属し、廃道後は西康省政府に直属した。1951年12月14日に理塘県に改称[2][3][4]

行政区画

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区分 名称
7 高城 甲窪 格聶 木拉 君壩 拉波 覚吾
15 哈依 莫壩 亜火 絨壩 呷窪 奔戈 村戈 禾尼 曲登 上木拉 濯桑 蔵壩 格木 麦窪 徳巫

交通

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道路

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国道

健康・医療・衛生

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  • 理塘県人民医院

ギャラリー

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関連項目

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脚注

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  1. ^ Buckley, Michael and Straus, Robert. (1986) Tibet: a travel survival kit, p, 219. Lonely Planet Publications. South Yarra, Victoria, Australia. ISBN 0-908086-88-1.
  2. ^ 段木干, ed (1981-06). 中外地名大辭典. 人文出版社. p. 3359 
  3. ^ 丹珠昂奔 周潤年 莫福山 李雙劍, ed (2003-02). 藏族大辭典. 甘粛人民出版社. p. 1079 
  4. ^ 歴史沿革” (2021年8月11日). 2022年7月4日閲覧。

外部リンク

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