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クリスティアン・リガノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リガノから転送)
クリスティアン・リガノ
フィオレンティーナ時代(2006年)
名前
愛称 Riga
ラテン文字 Christian Riganò
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1974-05-25) 1974年5月25日(50歳)
出身地 リーパリ
身長 191cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
イタリアの旗 テルメ・サン・カロージェロ
イタリアの旗 リーパリ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 イタリアの旗 リーパリ 99 (37)
1997-1998 イタリアの旗 メッシーナ 29 (3)
1998-2000 イタリアの旗 イジェア・ヴィルトゥス英語版 50 (28)
2000-2002 イタリアの旗 ターラント 64 (41)
2002-2006 イタリアの旗 フィオレンティーナ 94 (57)
2005-2006 イタリアの旗 エンポリ (loan) 33 (5)
2006-2007 イタリアの旗 メッシーナ 27 (19)
2007 スペインの旗 レバンテ 12 (4)
2008 イタリアの旗 シエーナ (loan) 17 (1)
2008-2009 イタリアの旗 テルナーナ 5 (0)
2009-2010 イタリアの旗 クレモネーゼ 7 (1)
2010-2011 イタリアの旗 ロンディネッラ英語版 8 (10)
2011 イタリアの旗 ジョリー・モンテムルロ英語版 11 (10)
2011-2012 イタリアの旗 モンテヴァルキ 16 (22)
2013 イタリアの旗 バルドリーノ 5 (4)
2013-2014 イタリアの旗 セッティニャネーゼ 16 (16)
2015 イタリアの旗 インチーザ 1 (2)
1992-2015 通算 495 (260)
監督歴
2013-2014 イタリアの旗 セッティニャネーゼ U-15(選手兼任)
2015-2017 イタリアの旗 インチーザ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリスティアン・リガノChristian Riganò, 1974年5月25日 - )は、イタリアリーパリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFW

経歴

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メッシーナの北にある世界遺産エオリア諸島リーパリに生まれる。1993年、19歳の時に地元のクラブに加入し、4年間(実働は3年間)安定した成績を上げてFCメッシーナに移籍。しかし同クラブでは目立った結果を出せず、同じシチリア島のクラブであるFCイジェア・ヴィルトゥス・バルチェッローナに移籍。

2000年に初めてイタリア本土に渡り、プッリャ州に本拠地を置くターラントFC1927へ加入。2年間で41得点とセリエCでは別格の能力を示す。2002年に新設されたフロレンティア・ヴィオラ[1] へ移籍。ほぼ1試合に1ゴールというペースでゴールを量産し、セリエC2優勝の原動力となる。

翌シーズンに特例としてセリエBに一気に昇格し、新たにACFフィオレンティーナを名乗ることになったクラブの中核として23得点を挙げ、プレーオフ進出に貢献する。シーズン終盤に発症した怪我の為、ペルージャ・カルチョとのプレーオフに出場することは出来なかったが、代役エンリコ・ファンティーニ英語版のゴールで試合を制し、クラブはセリエA昇格を果たした。

2004-05シーズン、クラブはセリエB時代の選手と新しく大量に獲得した選手たちのマッチングに最後まで苦しんだが、自身は30歳で初めてトップレベルでプレーし控え中心の起用ながら3ゴールを挙げた。なお、新生フィオレンティーナのセリエAデビュー戦となったASローマ戦でキャプテンマークを巻いた。

2005-06シーズンエンポリFCレンタル移籍。ゴール数は少ないながらも前線のポストプレイヤーとしての役割を果たし、数多くの試合に出場した。

2006-07シーズンはメッシーナに完全移籍で復帰。10月にはゴールランキングのトップを走る活躍であった。故障で2ヶ月以上出場できない時期があったが、3月に復帰。最終的には27試合出場19得点の成績でランキング単独3位となった。

2007-08シーズンはメッシーナのセリエB降格に伴い、リーガ・エスパニョーラレバンテUDへ移籍し初めて国外リーグでプレー。序盤はチームに馴染めなかったがハットトリックを達成するなど調子を上げ、前半戦を終えて4ゴールをマーク。しかし、クラブの給料未納や同胞のジャンニ・デ・ビアージ監督の更迭、ブルーノ・チリッロマルコ・ストラーリら主力の退団などの憂き目に遭い、自身も冬のマーケットでACシエーナへのレンタル移籍が決定、シーズン終了を待たずにイタリアへと帰国することになった。

シエーナでは1ゴールに終わり、2008-09シーズンはセリエC1テルナーナ・カルチョへと移籍、5年振りに下部リーグでプレーすることとなった。2014-15シーズン限りで現役を引退した。

指導歴

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2015年10月より、引退時の所属クラブであるASDICインチーザで指揮を執ることが発表された[2]

タイトル

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クラブ

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リーパリ
メッシーナ
イジェア・ヴィルトゥス
  • セリエD : 1999-00
ターラント
フロレンティア・ヴィオラ
  • セリエC2 : 2002-03

個人

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  • セリエC1得点王 : 2001-02(27得点)
  • セリエC2得点王 : 2002-03(30得点)

脚注

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  1. ^ 2002年に経営破綻したフィオレンティーナの流れを汲むクラブ。
  2. ^ Christian Riganò è il nuovo allenatore dell'Ideal Club Incisa”. ValdarnoPost.it (2015年10月14日). 2018年7月3日閲覧。

外部リンク

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