リカルト・クライチェク
| ||||
---|---|---|---|---|
リカルト・クライチェク | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Richard Peter Stanislav Krajicek | |||
国籍 | オランダ | |||
出身地 | 同・ロッテルダム | |||
居住地 | 同・マイデルブルフ | |||
生年月日 | 1971年12月6日(52歳) | |||
身長 | 195cm | |||
体重 | 89kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1989年 | |||
引退年 | 2003年 | |||
ツアー通算 | 20勝 | |||
シングルス | 17勝 | |||
ダブルス | 3勝 | |||
生涯通算成績 | 488勝279敗 | |||
シングルス | 411勝219敗 | |||
ダブルス | 77勝60敗 | |||
生涯獲得賞金 | $10,077,425 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト4(1992) | |||
全仏 | ベスト4(1993) | |||
全英 | 優勝(1996) | |||
全米 | ベスト8(1997・99・2000) | |||
優勝回数 | 1(英1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト4(1992) | |||
全仏 | 3回戦(1991) | |||
全英 | 2回戦(1991) | |||
全米 | 1回戦(1995) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 4位(1999年3月29日) | |||
ダブルス | 45位(1993年7月26日) | |||
リカルト・ペテル・スタニスラフ・クライチェク(Richard Peter Stanislav Krajicek, 1971年12月6日 - )は、オランダ・ロッテルダム出身の元男子プロテニス選手。1996年ウィンブルドン選手権男子シングルス優勝者である。シングルス自己最高ランキングは4位。ATPツアーでシングルス17勝、ダブルス3勝を挙げた。強力な弾丸サーブを最大の武器にする“ビッグ・サーバー”タイプの選手として知られる。妹のミハエラ・クライチェクもプロテニス選手である。
選手経歴
[編集]4歳からテニスを始める。彼は12歳の時に、バックハンド・ストロークを両手打ちから片手に変え、1989年にプロ入りした。1991年4月に香港オープンでツアー初優勝。クライチェクの最初の活躍は、1992年全豪オープンの男子シングルス・男子ダブルスベスト4進出であった。男子ダブルスは同じオランダのヤン・シーメリンクと組み、準決勝でウッディーズ組と対戦した試合中に、右肩を痛めて6-4, 1-3のスコアで途中棄権したため、シングルス準決勝のジム・クーリエ戦に出場できなくなった。1993年全仏オープンで2度目の4大大会準決勝に進出した時は、クーリエに1-6, 7-6, 5-7, 2-6で敗れた。この後しばらく、故障に悩んで低迷した時期があった。
1996年ウィンブルドン選手権に臨んだ時、クライチェクは世界ランキング13位であったが、「過去に芝生の大会で実績がないため」ノーシードで出場予定だったが、第7シードのトーマス・ムスターの欠場で第17シードとなる。その準々決勝で、クライチェクは大会4連覇を目指したピート・サンプラスを7-5, 7-6, 6-4のストレートで破る番狂わせを起こした。初めての決勝でマラビーヤ・ワシントンに6-3, 6-4, 6-3で勝利し、オランダ人の男子テニス選手として最初の4大大会優勝者となった(オランダ人女子テニス選手の4大大会シングルス優勝者は、1927年の全仏選手権で優勝したコルネリア・ボウマン1人だけである)。1993年から2000年までの8年間で、ウィンブルドン選手権でサンプラスを破った選手は、この1996年のクライチェク1人だけであった。サンプラスとの通算対戦成績は「6勝4敗」と相性が良かった。
翌年の1997年ウィンブルドン選手権で、大会前年優勝者のクライチェクは4回戦で地元期待のティム・ヘンマンに敗れてしまう。さらにその翌年の1998年ウィンブルドン選手権で2年ぶり2度目の準決勝に進出したが、ゴラン・イワニセビッチとの3-6, 4-6, 7-5, 7-6, 13-15の激戦の末敗れた。
クライチェクの現役最後の優勝は、2000年6月のゲリー・ウェバー・オープンである。2003年6月、地元ロスマーレン・グラスコート選手権1回戦敗退を最後に31歳で現役を引退した。現在は毎年2月に故郷のロッテルダムで行われるABNアムロ世界テニス・トーナメントのディレクターを務めている。
夫人のダフネ・デッカーズは有名な女優で、007シリーズの『トゥモロー・ネバー・ダイ』に出演したこともある。
ATPツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 26回 (17勝9敗)
[編集]
|
|
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1. | 1991年4月8日 | 香港 | ハード | ウォリー・マスアー | 6–2, 3–6, 6–3 |
準優勝 | 1. | 1992年4月13日 | 東京 | ハード | ジム・クーリエ | 4–6, 4–6, 6–7(3-7) |
優勝 | 2. | 1992年8月10日 | ロサンゼルス | ハード | マーク・ウッドフォード | 6–4, 2–6, 6–4 |
優勝 | 3. | 1992年11月16日 | アントワープ | カーペット (室内) | マーク・ウッドフォード | 6–2, 6–2 |
準優勝 | 2. | 1993年2月22日 | シュトゥットガルト | カーペット (室内) | ミヒャエル・シュティヒ | 6–4, 5–7, 6–7(4-7), 6–3, 5–7 |
優勝 | 4. | 1993年8月9日 | ロサンゼルス | ハード | マイケル・チャン | 0–6, 7–6(7-3), 7–6(7-5) |
優勝 | 5. | 1994年4月11日 | バルセロナ | クレー | カルロス・コスタ | 6–4, 7–6(8-6), 6–2 |
優勝 | 6. | 1994年6月13日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | カールステン・ブラーシュ | 6–3, 6–4 |
優勝 | 7. | 1994年10月10日 | シドニー | ハード (室内) | ボリス・ベッカー | 7–6(7-5), 7–6(9-7), 2–6, 6–3 |
優勝 | 8. | 1995年2月27日 | シュトゥットガルト | カーペット (室内) | ミヒャエル・シュティヒ | 7–6(7-4), 6–3, 6–7(6-8), 1–6, 6–3 |
優勝 | 9. | 1995年3月6日 | ロッテルダム | カーペット (室内) | ポール・ハーフース | 7–6(7-5), 6–4 |
準優勝 | 3. | 1995年8月21日 | ニューヘイブン | ハード | アンドレ・アガシ | 6–3, 6–7(2-7), 3–6 |
準優勝 | 4. | 1996年5月20日 | ローマ | クレー | トーマス・ムスター | 2–6, 4–6, 6–3, 3–6 |
優勝 | 10. | 1996年7月9日 | ウィンブルドン | 芝 | マラビーヤ・ワシントン | 6–3, 6–4, 6–3 |
準優勝 | 5. | 1996年8月5日 | ロサンゼルス | ハード | マイケル・チャン | 4–6, 3–6 |
優勝 | 11. | 1997年3月10日 | ロッテルダム | カーペット (室内) | ダニエル・バチェク | 7–6(7-4), 7–6(7-5) |
優勝 | 12. | 1997年4月21日 | 東京 | ハード | リオネル・ルー | 6–2, 3–6, 6–1 |
優勝 | 13. | 1997年6月23日 | ロスマーレン | 芝 | ギヨーム・ラウー | 6–4, 7–6(9-7) |
準優勝 | 6. | 1997年10月27日 | シュトゥットガルト | カーペット (室内) | ペトル・コルダ | 6–7(6–8), 2–6, 4–6 |
優勝 | 14. | 1998年2月15日 | サンクトペテルブルク | カーペット (室内) | マルク・ロセ | 6–4, 7–6(7-5) |
準優勝 | 7. | 1998年8月10日 | トロント | ハード | パトリック・ラフター | 6–7(3-7), 4–6 |
優勝 | 15. | 1998年11月2日 | シュトゥットガルト | ハード (室内) | エフゲニー・カフェルニコフ | 6–4, 6–3, 6–3 |
優勝 | 16. | 1999年3月1日 | ロンドン | カーペット (室内) | グレグ・ルーゼドスキー | 7–6(8-6), 6–7(5-7), 7–5 |
優勝 | 17. | 1999年3月29日 | マイアミ | ハード | セバスチャン・グロジャン | 4–6, 6–1, 6–2, 7–5 |
準優勝 | 8. | 1999年11月1日 | シュトゥットガルト | ハード (室内) | トーマス・エンクビスト | 1–6, 4–6, 7–5, 5–7 |
準優勝 | 9. | 2000年6月19日 | ハーレ | 芝 | ダーヴィト・プリノジル | 3–6, 2–6 |
ダブルス: 6回 (3勝3敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 1. | 1990年10月7日 | アテネ | クレー | トム・ケンパース | セルヒオ・カサル ハビエル・サンチェス |
4–6, 3–6 |
準優勝 | 2. | 1991年6月16日 | ロスマーレン | 芝 | ヤン・シーメリンク | ヘンドリク・ヤン・ダーヴィッツ ポール・ハーフース |
3–6, 6–7 |
優勝 | 1. | 1991年7月28日 | ヒルフェルスム | クレー | ヤン・シーメリンク | フランシスコ・クラベット マグヌス・グスタフソン |
7–5, 6–4 |
優勝 | 2. | 1993年3月21日 | マイアミ | ハード | ヤン・シーメリンク | ジョナサン・スターク パトリック・マッケンロー |
6–7, 6–4, 7–6 |
準優勝 | 3. | 1994年4月3日 | エストリル | クレー | メノ・オースティング | クリスティアン・ブランディ フェデリコ・モルデガン |
不戦敗 |
優勝 | 3. | 1995年6月18日 | ロスマーレン | 芝 | ヤン・シーメリンク | ヘンドリク・ヤン・ダーヴィッツ アンドレイ・オルホフスキー |
7–5, 6–3 |
4大大会優勝
[編集]- ウィンブルドン 男子シングルス:1勝(1996年)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
1996年 | ウィンブルドン | マラビーヤ・ワシントン | 6-3, 6-4, 6-3 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | 4R | SF | 2R | A | 2R | 3R | A | A | 3R | 2R | A | A | 2R | 16–7 |
全仏オープン | 2R | 3R | SF | 3R | 2R | QF | 3R | 3R | 2R | 3R | A | A | A | 22–10 |
ウィンブルドン | 3R | 3R | 4R | 1R | 1R | W | 4R | SF | 3R | 2R | A | QF | A | 29–10 |
全米オープン | 1R | 4R | 4R | 2R | 3R | 1R | QF | 3R | QF | QF | A | 1R | A | 22–11 |
※: 1992年全豪準決勝の不戦敗と1997年全米3回戦の不戦勝は通算成績に含まない
外部リンク
[編集]- リカルト・クライチェク - ATPツアーのプロフィール
- リカルト・クライチェク - デビスカップのプロフィール
- リカルト・クライチェク - 国際テニス連盟