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三菱・ランサーセレステ

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三菱・ランサーセレステ
A72/73/77/123/144/146A型
前期型
(1975年2月 - 1976年11月)
中期型
(1976年11月 - 1977年11月)
後期型
(1977年11月 - 1982年1月)
概要
販売期間 1975年2月 - 1982年1月
デザイン 二村正孝
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 3ドアファストバッククーペ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 直列4気筒SOHC1.4/1.6Lガソリン
変速機 フロア5MT
前:マクファーソンストラット
後:リーフスプリング
前:マクファーソンストラット
後:リーフスプリング
車両寸法
ホイールベース 2,340mm
全長 4,115mm
全幅 1,610mm
全高 1,340mm
車両重量 910kg
その他
生産台数 30万6551台[1]
系譜
先代 三菱・ギャランクーペFTO
後継 三菱・コルディア
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ランサーセレステLANCER CELESTE)は三菱自動車工業1975年から1982年まで生産・販売していたクーペ型の乗用車である。

歴史

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1975年2月ギャランクーペFTOの後継として登場。車名からも分かるようにランサーの3ドアファストバッククーペバージョンという位置付けだった。当初は「セレステ」の名称で発売する予定だったが、第一次オイルショックの影響で所轄官庁が「新型車」の追加を快く思わず、苦肉の策として「ランサーの派生車種」という位置づけの名称にしたという説がある。軽快なファストバックスタイルのハッチバッククーペで、ボディカラーは車名にふさわしいや明るい黄色等が設定され、スペシャルティカーとして若者の間で人気を集めた。エンジンは1400ccと1600ccの2種類、6類別。最上級グレードは1600GSR。

北米地域では当時の業務提携先かつ、現地での独占販売契約を結んでいたクライスラーによって、プリムス・アローの名で販売された。これに関連して、三菱が1978年から北米への輸出を開始したフォルテのプリムス仕様は「アロートラック」と名乗っていた。

1976年11月、マイナーチェンジ。1600ccエンジンがサイレントシャフト付きのサターン80となる。テールランプ(逆L字型から一文字型に)、フロントグリル、クォーターガーニッシュ等のデザインを変更。前後ともに5マイルバンパーを装着し、装備を1600GSRと同等としたグレード、1600GTが追加された。

1977年11月、2度目のマイナーチェンジ。ヘッドランプを丸型2灯から角型2灯に変更すると共にバンパーの形状も大幅に変更された。

1979年6月、105馬力を発揮する4G52型アストロン80エンジン搭載の2000GTが追加された。

1981年3月に生産を終了し、翌1982年1月までに販売終了となった。後継車はコルディアとなり、ランサーセレステの名称は一代限りで消滅した。

車名の由来

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  • CELESTE」はラテン語で「青い空」という意味[2]。「機能と美を調和させた車」という意味を込めて命名された。

脚注

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  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第29号7ページより。
  2. ^ なお、ラテン語から派生した言語であるスペイン語ポルトガル語にも celeste という語があるが、こちらもほぼ同じ意味(「天の、天空の、空色の」)である。

関連項目

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外部リンク

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