ラファエル・バティスタ
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス |
生年月日 | 1947年10月20日 |
没年月日 | 2008年10月25日(61歳没) |
身長 体重 |
185 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1965年 ミルウォーキー・ブレーブスと契約 |
初出場 |
MLB / 1973年6月17日 NPB / 1975年6月3日 |
最終出場 |
MLB / 1975年4月27日 NPB / 1975年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ラファエル・バティスタ・サンチェス(Rafael Batista Sánchez、1947年10月20日 - 2008年10月25日)は、ドミニカ共和国サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(内野手)。
ロッテ時代の表記は「ラファエル・バチスタ」。
経歴
[編集]サンペドロ・デ・マコリス高校卒業後の1965年にミルウォーキー・ブレーブスと契約し、1967年のマイナーリーグドラフトでヒューストン・アストロズに指名されて移籍。1973年6月17日のカージナルス戦(アストロ)の9回表にリー・メイの守備固めとして一塁手を務め、メジャーデビューを果たす。1974年のメジャー昇格は無かったが、1975年にメジャー再昇格し、主に代打で出場する。
1975年シーズン途中の5月29日、成績不振のため解雇されたジミー・ロザリオに代わってビル・マクナルティと共にロッテオリオンズへ入団[1]。6月3日の南海戦(大阪)に初出場し、江本孟紀から初打席本塁打を放ってデビューを飾ったが、南海の野村克也選手兼任監督はマスク越しに新助っ人の2人を観察して「バチスタが打ったのはフォークが落ちなかった力のないボール。ファームの選手でもホームランや。マクナルティ?間違ったらもっていかれるな。パワーはありそうや。けど、穴もけっこうあるで」と分析していた[1]。金田正一監督は「後期が楽しみや。そろって20本塁打や」と大きな期待を寄せたが、野村が予言した通り、新助っ人は穴が多く、その後は不振で3本塁打と期待外れに終わる[1]。初打席ではボール球をスタンドに運んだが、実は選球眼に難があり、ボール球に手を出しては凡打の山を築いた[1]。48試合で28安打3本塁打、打率.204、四死球は僅か8個であった[1]。加えて初本塁打から1週間も経たないうちに右足の肉離れで戦線を離脱し、その後もコンディションが芳しくないと訴え続け、シーズン終盤は二軍暮らしとなった[1]。イースタン・リーグでは結果を残したが、一軍首脳陣には見限られており、シーズン終了後に退団[1]。
1976年からはメキシカンリーグでプレーし、引退する1984年まで4チームにわたってプレーした[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1973 | HOU | 12 | 16 | 15 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | 0 | .267 | .313 | .267 | .579 |
1975 | 10 | 10 | 10 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | .300 | .300 | .400 | .700 | |
ロッテ | 48 | 147 | 137 | 12 | 28 | 9 | 0 | 3 | 46 | 13 | 1 | 0 | 1 | 1 | 5 | 0 | 3 | 26 | 2 | .204 | .247 | .336 | .582 | |
MLB:2年 | 22 | 26 | 25 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 10 | 1 | .280 | .308 | .320 | .628 | |
NPB:1年 | 48 | 147 | 137 | 12 | 28 | 9 | 0 | 3 | 46 | 13 | 1 | 0 | 1 | 1 | 5 | 0 | 3 | 26 | 2 | .204 | .246 | .336 | .582 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
一塁(1B) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1973 | HOU | 8 | 26 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
1975 | ロッテ | 40 | 285 | 26 | 6 | 27 | .981 |
MLB | 8 | 26 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | |
NPB | 40 | 285 | 26 | 6 | 27 | .981 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場・初先発出場:1975年6月3日、対南海ホークス前期8回戦(大阪スタヂアム)、3番・一塁手として先発出場
- 初打席・初安打・初本塁打・初打点:同上、1回表に江本孟紀から左越先制決勝3ラン ※史上10人目の初打席初本塁打
背番号
[編集]- 8 (1973年)
- 20 (1975年 - 同年途中)
- 1 (1975年途中 - 同年終了)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “【6月3日】1975年(昭50) ロッテ来日6日目の新助っ人が3、4番 上々デビューも…”. スポーツニッポン (2010年6月3日). 2012年6月3日閲覧。
- ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=batist001raf