エドムンド・プランタジネット (ラトランド伯)
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(ラットランド伯エドムンドから転送)
エドムンド・プランタジネット Edmund Plantagenet | |
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ラトランド伯 | |
『クリフォード卿によるラトランドの殺害』(チャールズ・ロバート・レスリー画、1815年) | |
在位 | 1446年1月29日 - 1460年12月30日 |
出生 |
1443年5月17日 イングランド王国(占領下)、ルーアン |
死去 |
1460年12月30日(17歳没) イングランド王国、ウェイクフィールド |
埋葬 | イングランド王国、ポンテフラクト → ノーサンプトンシャー、フォザリンゲイ教会 |
家名 | ヨーク家 |
父親 | ヨーク公リチャード |
母親 | セシリー・ネヴィル |
ラットランド(ラトランド)伯エドムンド(エドマンド)・プランタジネット(Edmund Plantagenet, Earl of Rutland, 1443年5月17日 - 1460年12月30日)は、イングランドの王族であり、ヨーク公リチャードとセシリー・ネヴィルの(早世しなかった中では)2番目の息子である。
生涯
[編集]エドムンドはルーアンで生まれた。後の国王エドワード4世の弟であり、ブルゴーニュ公シャルル夫人マーガレット、クラレンス公ジョージ、国王リチャード3世の兄であった。
エドムンドはラットランド伯を名乗った。薔薇戦争中のウェイクフィールドの戦い(1460年12月30日)に敗れ、敵であるランカスター派のクリフォード卿の命令(一説にはクリフォード卿自身の手にかかって)によって17歳の若さで処刑された。エドムンドの首は、父リチャード、母方の伯父ソールズベリー伯と共に、ヨークの街の城門にさらされた。
シェイクスピアの戯曲「ヘンリー六世 第3部」の中では、ラットランド伯は史実とは異なり、一番下の弟ということになっており、「命乞いの後にクリフォード卿に惨殺される少年」という脚色された形で描かれている。