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ラウンデル・パーマー (初代セルボーン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代セルボーン伯爵
ラウンデル・パーマー
Roundell Palmer
1st Earl of Selborne
生年月日 1812年11月27日
出生地 イギリスの旗 イギリス イングランドオックスフォードシャーミックスベリー英語版
没年月日 (1895-05-04) 1895年5月4日(82歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリス イングランドハンプシャーブラックモア英語版
出身校 オックスフォード大学
リンカーン法曹院
前職 弁護士
所属政党 ピール派自由党自由統一党
称号 初代セルボーン伯爵枢密顧問官(PC)
配偶者 ローラ(旧姓ウォルドグレイブ)

イギリスの旗 大法官貴族院議長)
内閣 第1次グラッドストン内閣
第2次グラッドストン内閣
在任期間 1872年10月15日 - 1874年2月17日
1880年4月28日 - 1885年6月9日

イギリスの旗 庶民院議員
選挙区 プリマス選挙区英語版
プリマス選挙区
リッチモンド選挙区英語版[1]
在任期間 1847年7月29日 - 1852年7月7日
1853年6月2日 - 1857年3月27日
1861年7月9日 - 1872年10月23日[1]

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1872年 - 1895年4月2日[1]
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初代セルボーン伯爵ラウンデル・パーマー英語: Roundell Palmer, 1st Earl of Selborne, PC FRS1812年11月27日 - 1895年5月4日)は、イギリスの政治家、法律家、貴族。

経歴

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1872年3月16日の『バニティ・フェア』誌に描かれたパーマー。

1812年11月27日イングランドオックスフォードシャーミックスベリー英語版に牧師ウィリアム・パルマーとその妻ドロシアの長男として生まれる[2][3]

ラグビー校ウィンチェスター・カレッジを経て、オックスフォード大学へ進学。大学卒業後、法律の道を志してリンカーン法曹院へ入学し、弁護士となる[2]

1847年総選挙英語版プリマス選挙区英語版から選出されて庶民院議員を務めた。所属党派はピール派だった。反カトリック的な聖職者称号法英語版に反対票を投じたことが尾を引き、1852年総選挙英語版では落選した[2]。一年後の補欠選挙で再選されるも、クリミア戦争アロー戦争に反対したため、愛国心なき輩と批判され、1857年総選挙英語版で再び落選した[2]

落選中は弁護士の仕事に戻り、ウィリアム・グラッドストンと接近した。1861年8月に第二次パーマストン子爵内閣で法務次官英語版に就任するとともにナイトの称号を与えられた。またリッチモンド選挙区英語版から自由党庶民院議員に当選する[2]1863年10月には法務総裁に昇進。政権交代があった1866年まで在職した[2]

第1次グラッドストン内閣期の1872年10月に大法官に就任。この閣僚職は当時貴族院議長を兼任していたため、これを機にセルボーン男爵に叙爵された。内閣が終わる1874年まで在職した[2]1880年4月に第二次グラッドストン内閣が発足すると再び大法官として入閣[2]。1882年12月にはセルボーン伯爵に叙された[1][2]

イギリスの半植民地エジプトの属領スーダンで発生したマフディーの反乱をめぐっては、マフディー軍に包囲されたチャールズ・ゴードン将軍の救援軍の派遣を強く主張した閣僚の一人だった[4]

グラッドストンのアイルランド自治の方針に反発し、第三次グラッドストン内閣には参加せず、自由党内アイルランド自治反対派が分党して結成した自由統一党に参加した[2]

1895年5月4日ハンプシャーブラックモア英語版の自邸で死去した[2]

栄典

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家族

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1848年にローラ・ウォルドグレイブ(第8代ウォルドグレイブ伯爵ウィリアム・ウォルドグレイブ英語版の娘)と結婚し、彼女との間に以下の5子を儲ける[3]

出典

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  1. ^ a b c d UK Parliament. “Mr Roundell Palmer” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年6月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n Steele, David (11 March 2021) [23 September 2004]. "Palmer, Roundell, first earl of Selborne". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/21210 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b Lundy, Darryl. “Roundell Palmer, 1st Earl of Selborne” (英語). thepeerage.com. 2014年6月1日閲覧。
  4. ^ 坂井(1967) p.109-110

参考文献

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  • 坂井秀夫『政治指導の歴史的研究 近代イギリスを中心として』創文社、1967年(昭和42年)。ASIN B000JA626W 

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
トマス・ギル
エブリントン子爵英語版
プリマス選挙区英語版選出庶民院議員
1847年英語版 - 1852年英語版
同一選挙区同時当選者
エブリントン子爵英語版
次代
チャールズ・ジョン・マーレー
ロバート・コリアー英語版
先代
チャールズ・ジョン・マーレー
ロバート・コリアー英語版
プリマス選挙区選出庶民院議員
1853年 - 1857年英語版
同一選挙区同時当選者
ロバート・コリアー英語版
次代
ジェームズ・ホワイト英語版
ロバート・コリアー英語版
先代
ヘンリー・リッチ英語版
マーマデューク・ウィヴィル英語版
リッチモンド選挙区英語版選出庶民院議員
1861年英語版- 1872年英語版
同一選挙区同時当選者
マーマデューク・ウィヴィル英語版(-1865)
ジョン・ダンダス英語版(1865–1866)
マーマデューク・ウィヴィル英語版(1866-)
次代
ローレンス・ダンダス
司法職
先代
サー・ウィリアム・アザートン英語版
イギリスの旗 法務次官英語版
1861年 - 1863年
次代
ロバート・コリアー英語版
先代
サー・ウィリアム・アザートン英語版
イギリスの旗 法務総裁
1863年 - 1866年
次代
サー・ヒュー・ケアンズ
公職
先代
初代ハザレイ男爵英語版
イギリスの旗 大法官
1872年 - 1874年
次代
初代ケアンズ男爵
先代
初代ケアンズ男爵
イギリスの旗 大法官
1880年 - 1885年
次代
初代ハルズベリー男爵英語版
学職
先代
アーサー・ペンリン・スタンリー英語版
セント・アンドリューズ大学学長英語版
1877年 - 1880年
次代
サー・セオドア・マーティン英語版
イギリスの爵位
爵位創設 初代セルボーン男爵
1872年 - 1895年
次代
ウィリアム・ウォルドグレイブ・パーマー英語版
初代セルボーン伯爵
1882年 - 1895年
初代ウォルマー子爵
1882年 - 1895年