ライラ・オディンガ
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(ライラ・アモロ・オディンガから転送)
ライラ・オディンガ Raila Odinga | |
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生年月日 | 1945年1月7日(79歳) |
出生地 | イギリス領ケニア、マセノ |
出身校 | マクデブルク工科大学 |
前職 | 大学教員 |
所属政党 | オレンジ民主運動 |
配偶者 | イダ・オディンガ(1950年 - ) |
在任期間 | 2008年4月17日 - 2013年4月9日 |
大統領 | ムワイ・キバキ |
ライラ・アモロ・オディンガ(英語: Raila Amolo Odinga、1945年1月7日 - )は、ケニアの政治家。1992年より国会議員。エネルギー相(2001-2002年)、道路公共事業住宅相(2003-2005年)、首相(2008-2013年)などを歴任した。
略歴
[編集]- 1965年、東ドイツのマクデブルク工科大学(現在のオットー・フォン・ゲーリケ大学マクデブルクの一部)に奨学生として留学。
- 1970年、機械工学の学位を取得。
- 1971年 - 1974年、ナイロビ大学講師。
- 選手としても所属していたゴル・マヒアFC (Gor Mahia F.C.) を運営[1]。
- 2007年、ケニア大統領選挙に出馬。
- 2008年4月17日、合意に基づき首相就任。
- サッカーケニア代表監督にアントワーン・ヘイ (Antoine Hey) を指名。自身の留学経験からドイツ人指導者を信奉していた[1]。
- 2013年4月9日、2010年の憲法改正後、初の総選挙実施に伴い首相職廃止。
- 2017年8月8日執行の大統領選挙に出馬するも、現職のウフル・ケニヤッタ大統領に敗れ次点で落選。しかしその後、大統領選に不正があったとし裁判所に異議申し立てを行い、9月1日、ケニア最高裁判所は不正を認定しこの申し立てを認め、60日以内の再選挙を命じた[2]。しかし、ケニア選挙委員会に公正な選挙に向けた改革を実行する意思がないことを理由に、10月10日にやり直しの大統領選挙への立候補取りやめを発表[3]。
- 2022年8月9日に執行された大統領選挙に立候補したが得票率は48.8%にとどまり、50.5%を獲得したウィリアム・ルト副大統領に敗れた。しかしオディンガは選挙に不正があったと主張し、一部の選挙管理委員も結果が不透明と批判していることから法廷闘争となる可能性が指摘されている[4]。
家族
[編集]- 父:ジャラモギ・オギンガ・オディンガ - ケニア共和国初代副大統領
- 兄:オブル・オディンガ - 国会議員
- 妻:イダ・オディンガ (誕生名:イダ・アニャンゴ・オヨー)
- 子供(4名:息子2名、娘2名)
脚注
[編集]- ^ a b スティーヴ・ブルームフィールド『サッカーと独裁者 アフリカ13か国の「紛争地帯」を行く』白水社、2011年、125頁。
- ^ “ケニア大統領選、やり直しに=最高裁「選管に不正」-惨事再燃に懸念”. 時事通信社 (2017年9月1日). 2017年9月4日閲覧。
- ^ “ケニア大統領の再選挙、野党候補が不出馬表明 「公正な選挙」望めず”. 日本経済新聞 (2017年10月11日). 2017年10月22日閲覧。
- ^ “ケニア大統領選、ルト副大統領が勝利 対立候補は不正を主張”. BBC News. BBC. (2022年8月16日) 2022年8月17日閲覧。
- ^ a b c d Daily Nation, June 2, 2001 The Price of being Raila Odinga's wife
外部リンク
[編集]- Raila Odinga - 公式ウェブサイト
- Vote Raila - 選挙運動ウェブサイト
- Raila Odinga: An Enigma in Kenyan Politics
- Raila Odinga political biography
- Kenya Parliament profile[リンク切れ]
- An Audience with Raila - (Video - London Sep 7th 2007)
- An open letter to Hon. Raila Amolo Odinga by Jerry Okungu, Posted On: 2007-11-28
公職 | ||
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先代 ジョモ・ケニヤッタ 1964年 - 2008年は廃止 |
ケニア共和国首相 第2代:2008 - 2013 |
次代 首相職廃止 |