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ジョン・ファンルーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ファンルーン
名前
本名 ヨハネス・マリア・ファンルーン
Johannes Maria van Loen
愛称 レッドバロン、灯台、街灯[1]
ラテン文字 John van Loen
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1965-02-04) 1965年2月4日(59歳)
出身地 ユトレヒト
身長 193cm
体重 82kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
オランダの旗 VVO '65
オランダの旗 UVVユトレヒトオランダ語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1988 オランダの旗 FCユトレヒト 116 (44)
1988-1990 オランダの旗 ローダJC 56 (25)
1990-1991 ベルギーの旗 RSCアンデルレヒト 25 (3)
1991-1993 オランダの旗 アヤックス・アムステルダム 37 (11)
1992-1995 オランダの旗 フェイエノールト 54 (17)
1995 日本の旗 サンフレッチェ広島 36 (9)
1995-1998 オランダの旗 FCユトレヒト 50 (7)
1998 キプロスの旗 APOELニコシア 0 (0)
通算 374 (116)
代表歴2
1985-1990 オランダの旗 オランダ 7 (1)
監督歴
1998-2002 オランダの旗 ユトレヒトユースコーチ
2002-2008 オランダの旗 ユトレヒトアシスタントコーチ
2011-2012 オランダの旗 CSVアペルドールンオランダ語版監督
1. 国内リーグ戦に限る。2007年6月6日現在。
2. 2007年6月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヨハネス・マリア・ファンルーン(Johannes Maria van Loen、1965年2月4日 - )は、オランダ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴

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現役時代

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地元のクラブVVO'65でサッカーを始め、後にUVVユトレヒトで本格的にサッカーを学ぶ。当時、同クラブにはマルコ・ファン・バステンも在籍し、2人は将来を有望視されていた。

1983年、エールディヴィジFCユトレヒトとプロ契約しキャリアをスタート。翌年にはレギュラーを掴み、以降主力として活躍する。1985年KNVBカップ決勝戦で唯一の得点を挙げ同クラブ優勝に貢献。同年にオランダA代表に初選出され、1985年11月20日メキシコW杯予選対ベルギー戦で代表デビューした。

その活躍から1988年ローダJCに移籍し主力として活躍。1989年4月4日テストマッチ対イスラエル戦で代表唯一のゴールを決めている。1990年イタリアW杯に挑むレオ・ベーンハッカー率いるA代表に選出され、同年6月29日グループリーグ第3戦対アイルランド代表戦1試合のみ出場。

その年の夏にベルギー1部の名門RSCアンデルレヒトに移籍するもののあまり活躍できず、そこへアヤックス・アムステルダムのベーンハッカーが獲得に動き、アヤックスへ入団することになった。ただベーンハッカーはクラブを離れルイス・ファン・ハールが監督に就任することとなり、良好な関係を保て試合出場を重ねるも、翌年足首を怪我し出場機会が減っていった。そこへライバルであるヴィレム・ファン・ハネヘム率いるフェイエノールトからオファーがあり移籍するも、ポジション争いに勝てずレギュラーにはなれなかった。

フェイエノールトOBのビム・ヤンセンとの縁で1995年3月、高木琢也の怪我でセンターフォワード不足になったJリーグ・サンフレッチェ広島にレンタル移籍で加入、1年のみプレーした。4月26日のベルマーレ平塚戦でJリーグ初ゴールとなる決勝ゴールを決め[2]7月1日のジュビロ磐田戦ではハットトリックを達成した[3]

そしてフェイエノールトへ一時復帰し、同シーズン中に降格圏内にいた古巣であるユトレヒトに復帰、3シーズン在籍しチームを降格から救った。

その後はキプロスのAPOELニコシアへ移籍するもの古傷の足首の負傷から6ヶ月プレーできず、シーズン終了後に現役引退。

指導者時代

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引退後はFCユトレヒトでユースコーチを務め、2002年からトップチームのアシスタントコーチとして活躍、フォエク・ブーイオランダ語版やファン・ハネヘムの下でコーチ経験を積んだ。2008年ファン・ハネヘム監督解任に伴い、契約解除された[4]。2011-12シーズンにはアマチュアクラブのCSVアペルドールンオランダ語版監督、兼務する形でスパルタ・ロッテルダムでストライカーコーチとして活躍した[5]

2013年現在は、アマチュアクラブのローダ '46オランダ語版に所属[6]、地元で少年サッカーを中心とした指導者として、並行してTV解説者として活躍している。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1983-84 ユトレヒト エールディヴィジ 2 0
1984-85 22 5
1985-86 30 15
1986-87 31 11
1987-88 31 13
1988-89 ローダ 31 8
1989-90 25 17
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
1990-91 アンデルレヒト 1部 26 3
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1991-92 アヤックス エールディヴィジ 30 7
1992-93 7 1
1992-93 フェイエノールト 16 4
1993-94 23 9
1994-95 15 4
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 広島 - J 36 9 - 1 0 37 9
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1995-96 フェイエノールト エールディヴィジ 0 0
1995-96 ユトレヒト 14 1
1996-97 25 6
1997-98 12 0
キプロス リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1998 ニコシア 1部 0 0
通算 オランダ エールディヴィジ 314 101
ベルギー 1部 26 3
日本 J 36 9 0 0 1 0 37 9
キプロス 1部 0 0
総通算 376 113

脚注

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  1. ^ John van Loen, de Rode Baron”. Doordebenen. 2013年5月27日閲覧。
  2. ^ “ファンルーン”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=1402 3 May 2020閲覧。 
  3. ^ ハットトリック一覧-Jleague Data site 2018年2月10日
  4. ^ Van Loen begrijpt het nog steeds niet”. GOAL.com (2008年12月15日). 2013年5月27日閲覧。
  5. ^ John van Loen ambassadeur van Make-a-Wish”. sport-promotion.nl (2012年9月27日). 2013年5月27日閲覧。
  6. ^ 2013年3月“特別講座”のご案内”. 向笠塾. 2013年5月27日閲覧。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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