ヤグルシとアイムール
表示
(ヤグルシュから転送)
ヤグルシ(ウガリット語: ygrš, Yagrush; ヤグルシュの表記もみられる)とアイムール(ウガリット語: aymr, Aymur)は、ウガリット神話に登場する2本の棍棒である。技術工芸の神コシャル・ハシスがバアル神に与えたもの。
ウガリット神話は、1928年にシリアのラス・シャムラで大量の粘土板文書が出土したことにより、その詳細が知られるようになった[1][2][3][注 1]。ヤグルシとアイムールは、その中でも「バアルの神話」「バアルとヤム」等と呼ばれる神話の中に登場する[注 2]。
この神話の中で、神バアルは神ヤム[注 3]と争っている。劣勢のバアルに、技術工芸の神コシャル・ハシスは魔術的な[注 4]2本の棍棒、ヤグルシとアイムールを与える。コシャル・ハシスはまず1本目を取り出し[注 5]、ヤグルシ(追放、駆逐する者)という名を与え、呪文を籠めた。ヤグルシは呪文の通り、バアルの手から鷲のように飛び立ち、ヤムの肩を打った。しかしヤムは倒れなかった。コシャル・ハシスは同様に2本目、アイムール(撃退、追放する者)を与えた。アイムールはヤムの眉間を打ち据え、ヤムを地に倒すことができた。その後、バアルはヤムに止めを刺し、勝利を収めた。
表記・意味
[編集]各文献では、以下のように表記・音訳または訳出されている。
出典 | ヤグルシ | アイムール |
---|---|---|
フック & 吉田訳 (1967) | 「ヤグルシ」(チェイサーによる)[4] | 「アイムール」(ドライバーによる)[4] |
Hooke (1963) | 'Yagrush' (Chaser)[5] | 'Aymur' (Driver)[5] |
谷川 (1998) | 「ヤグルシュ」[6] 〝追放〟[7][8] ygrš[7][8][注 6] |
「アィヤムル」[6] 〝撃退〟[7][9] aymr[7][9][注 6] |
Gordon (1948) | ygrš[10][11] ‘Expeller’[12] |
aymr[13][11] ‘Driver’[14] |
柴山 (1978) | 〝駆逐する者〟[15][16] | 〝追放する者〟[15][17] |
ガスター & 矢島訳 (2017) | 〈駆逐者〉[18] | 〈反撥者〉[18] |
Gaster (1959) | Driver[19] | Repeller[19] |
ゴールドン & 柴山訳 (1976) | 「 |
「 |
グレイ & 森訳 (1993) | 「追う者」[22] | 「追放する者」[23] |
ボンヌフォワ & 山下訳 (2001) | 「追い払え」[24] | 「放逐せよ」[24] |
Mendelsohn (1955) | Yagrush (‘Chaser’?)[25] | Ayamur (‘Driver’?)[25] |
Gibson (2004) | Yagrush[26] | Ayyamur[26] |
Smith (1994) | Yagarrish[27] | Ayyamarri[28] |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 発掘・整理は今なお(1977年時点)続けられている(柴山 (1978), p. 275)。
- ^ これらの神話は複数の粘土板に断片的に残っていた文章を繋ぎ合わせる形で復元されたものである。
- ^ ヤム・ナハルの表記もみられる。
- ^ 谷川 (1998), p. 33では「不思議な武器」、フック & 吉田訳 (1967), p. 122では「魔術的な武器」、ガスター & 矢島訳 (2017), pp. 300–301では「二つの特別なこん棒」と表現されている。またガスター & 矢島訳 (2017), pp. 300–301は「自動的に使用者のもとに戻る力を持った魔法の武器とされていたこともありうる」とも述べている。またグレイ & 森訳 (1993), p. 202では棍棒の代わりに「一束の電光」と訳されている。
- ^ この部分について、谷川 (1998), p. 53は「二本の棍棒を取り出して」「それらの名前を布告した」、柴山 (1978), p. 282は「二つの棍棒を作り出し」「その名を付けた」と訳している。
- ^ a b 谷川 (1998) では、訳文中(53-54頁)では「〝追放〟」「〝撃退〟」(ダブルミニュートは原文ママ)と訳出されており、訳注(192頁)でそれぞれ「ヤグルシュ」と「アィヤムル」と読めるであろうとされている。
出典
[編集]- ^ フック & 吉田訳 1967, p. 117.
- ^ 谷川 1998, p. 10.
- ^ 柴山 1978, p. 275.
- ^ a b フック & 吉田訳 1967, p. 122.
- ^ a b Hooke 1963, p. 82.
- ^ a b 谷川 1998, p. 192.
- ^ a b c d 谷川 1998, p. 48(UT 137 (6))
- ^ a b 谷川 1998, p. 53(UT 68 (12))
- ^ a b 谷川 1998, p. 54(UT 68 (19))
- ^ Gordon 1948, p. 150 (UT 68 (12)).
- ^ a b Gordon 1948, p. 167(UT 137 (6))
- ^ Gordon 1948, p. 52(Noun - 8. 32.)
- ^ Gordon 1948, p. 150 (UT 68 (19)).
- ^ Gordon 1948, p. 235(Glossary - 884. ymr)
- ^ a b 柴山 1978, p. 280(Herdner 2 / Eißfeldt ⅢABB / Gordon 137 - 5-10行目)
- ^ 柴山 1978, p. 282(Herdner 2:Ⅳ / Eißfeldt ⅢABA / Gordon 68 - 10-15行目)
- ^ 柴山 1978, p. 283(Herdner 2:Ⅳ / Eißfeldt ⅢABA / Gordon 68 - 15-20行目)
- ^ a b ガスター & 矢島訳 2017, p. 276.
- ^ a b Gaster 1959, p. 212.
- ^ ゴールドン & 柴山訳 1976, p. 168.
- ^ ゴールドン & 柴山訳 1976, p. 169.
- ^ グレイ & 森訳 1993, p. 202.
- ^ グレイ & 森訳 1993, p. 204.
- ^ a b ボンヌフォワ & 山下訳 2001, p. 223.
- ^ a b Mendelsohn 1955, pp. 226, 229.
- ^ a b Gibson 2004, p. 44.
- ^ Smith 1994, p. 322.
- ^ Smith 1994, p. 323.
参考文献
[編集]- S・H・フック 著、吉田泰 訳『オリエント神話と聖書』山本書店、1967年5月15日。国立国会図書館書誌ID:000001092938 。 (記事執筆時は1978年6版で確認。) - Hooke, S. H., Middle Eastern Mythology, 1963, Penguin books の日本語訳。
- Hooke, S. H. (1963). Middle Eastern Mythology. Penguin Books
- 谷川政美『ウガリトの神話バアルの物語 : 音写資料からの翻訳と解説並びに旧約聖書への影響とその歴史的背景』新風舎、1998年9月15日。ISBN 4-7974-0327-6。
- 柴山栄(訳)「ウガリット」『古代オリエント集』杉勇(訳者代表)、筑摩書房〈筑摩世界文學大系 1〉、1978年4月30日、273-346頁。国立国会図書館書誌ID:000001373476 。
- Th. H. ガスター、矢島文夫(訳)『世界最古の物語 : バビロニア・ハッティ・カナアン』平凡社〈東洋文庫〉、2017年9月8日。ISBN 978-4-582-80884-1。 - Gaster, Th. H., The Oldest Stories in the World (New York, 1952: The Viking Press) の日本語訳。初版は1958年(NCID BN04798638)。
- Gaster, Theodor H. (1959). The Oldest Stories in the World (2 ed.). Boston: Beacon Press
- C. H. ゴールドン 著、柴山栄 訳『聖書以前』(新版)みすず書房、1976年8月25日。国立国会図書館書誌ID:000001223790 。 - Cyrus Herzl Gordon, Before the Bible : The Common Background of Greek and Hebrew Civilizations, Harper & Row, New York and London, 1962 初版の日本語訳。初版は1967年(国立国会図書館書誌ID:000001092725)。
- ジョン・グレイ 著、森雅子 訳『オリエント神話』1993年8月25日。ISBN 4-7917-5259-7。 - John Gray, Near Eastern Mythology, 1988 (Second Edition) の日本語訳。
- 山下誠(訳)「ウガリトの神々と神話」『世界神話大事典』イヴ・ボンヌフォワ(編)、金光仁三郎(主幹)、大修館書店、2001年3月20日、222-231頁。ISBN 4-469-01265-3。
- Gordon, Cyrus H. (1948). Ugaritic handbook : revised grammar, paradigms, texts in transliteration, comprehensive glossary. Roma: Pontificium Institutum Biblicum
- Mendelsohn, Isaac (1955). Religions of the Ancient Near East : Sumero-Akkadian Religious Texts and Ugaritic Epics. New York: The Liberal Arts Press
- Gibson, J. C. L. (2004). Canaanite Myths and Legends (2 ed.). T&T Clark International
- Smith, Mark S. (1994). The Ugaritic Baal cycle. Volume I. Introduction with Text, Translations and Commentary of KTU 1.1-1.2. Leiden: Brill. ISBN 978-90-04-09995-1. OCLC 30914624