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モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディー

モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディーペルシア語: محمدتقی مصباح یزدی‎、Mohammad-Taqi Mesbah-Yazdi、1934年1月31日 - 2021年1月1日)は、イランシーア派12イマーム派ウラマー政治家アーヤトッラー

日本ではモハンマドタキ・ヤズディとも表記[1]

人物

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ヤズド出身。マフムード・アフマディーネジャード大統領の宗教面での助言者とされ、最高指導者を選任する専門家会議の構成員の1人である[2][3]。メスバーフ・ヤズディーは西側世界からの完全な孤立を支持しており、またクルアーンについては厳格な解釈をとり、これ以外は背教的なものとしている[4][5]1979年イラン・イスラーム革命の価値観への復帰を提唱し、改革派の活動に対しての反対者として著名。核兵器使用のイスラーム法的合法性については言明していない。メスバーフ・ヤズディーは殉教的な活動のあり方を承認して次のようにいう。

イスラームとウンマ(イスラーム共同体)の保持が殉教的活動にかかっているならば、それは容認されるのみならず、義務でさえある。これは多くのシーア派大学者、マルジャエ・タクリード、たとえばアーヤトッラー・サフィー・ゴルパーイェガーニーアーヤトッラー・ファーゼル・ランキャラーニーが、そのファトワーで明確にしていることである[6]

教育

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モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディーは初等・中等教育をヤズドで受けたのち、ゴムに移って、フィクフ(イスラーム法学)に関する教育をつづけて受け1960年に卒業した。ゴムでの師では、アーヤトッラー・ホメイニーアーヤトッラー・モハンマド・タギー・バフジャト・フーマーニーが有名で、影響力をもつクルアーンの解釈書「タフスィール・アル=ミザーン」の著者であるアーヤトッラー・アッラーメ・タバータバーイーにも教えを受けている。イスラーム革命以前にメスバーフ・ヤズディーは「復讐」と題する雑誌の編集長となっている[7]

政治的立場

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モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディーは強硬原理主義派の精神的指導者である。改革派のモハンマド・ハータミーが大統領に当選した1997年以降、メスバーフ・ヤズディーらの一団は改革に対し、率直かつ時に激烈な批判をおこなった。2003年に改革派が退潮に入ると、地方選挙および議会選挙で勢力を拡大。2005年大統領選挙ではマフムード・アフマディーネジャードの出馬を支持した。その後、専門家会議選挙への準備を支持者らに話すなかで「たとえ我らが大統領職を獲得したからといっても、本当の権力は別のところにある」と述べている。これは大方から最高指導者職就任への布石と捉えられた[5]。しかしながら、同選挙でメスバーフ・ヤズディーの党派は敗北、専門家会議は、現実主義よりの保守派の手の内に残ることになった[8]

経歴

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アーヤトッラー・メスバーフ・ヤズディーはハッガーニー閥(イランにおける有力シーア派学派)の評議員で[9]イスラーム法学クルアーン解釈学神学イスラームに関わる諸問題についてなど多くの著書を持つ。また、ゴムのエマーム・ホメイニー教育研究所評議員[10]専門家会議議員。時に、テヘラン金曜礼拝においてフトバ前の説教を担当することがある。

1997年6月に当選したモハンマド・ハータミー前政権下で、メスバーフ・ヤズディーの学生らは政権への批判勢力として重要な役割を果たした。その結果メスバーフ・ヤズディーの名はたびたびメディアに登場して知名度を増した。2005年の大統領選挙ではマフムード・アフマディーネジャードを支持するファトワーを発し、その後もたびたび大統領と会見を持っている[5]。2006年12月には、高位ウラマーがアリー・ハーメネイー後の次期最高指導者候補を選任する専門家会議に当選している[3]

見解

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アーヤトッラー・メスバーフ・ヤズディーは「イスラーム共和制」から「イスラーム体制」への転換を求める[要出典]。1979年のイラン・イスラーム革命の理念への復帰を主張し[5]、イランにおけるイスラーム原理主義の指導的理論家であり、ハータミー前大統領はメスバーフ・ヤズディーを「暴力の理論家」と評したことがある[3]改革運動には反対の立場であり、「イスラーム政府は闘わなければならない。すなわち人を欺く思想の注入はエイズ・ウィルスを注入するようなものだからである!」と述べ、また留学後に体制に疑義を呈するイランの若者は、外国の大学による「心理戦」に影響されてしまっただけだとも言う[5]

多元主義にも反対の立場であり[要出典]イラン・イスラーム共和国冒涜法に基づきハーシェム・アーガージャリーを「イスラーム冒涜」の罪による処刑を要求している。メスバーフ・ヤズディーは「イスラームの清浄を辱める者があるならば、イスラームはその血が流されることを許容しており、これについて法廷は不要である」[11]と考えている。

またイスラームの名による奴隷制と攻撃は正当化されるとの立場であり[4]、イスラエルに対する自爆攻撃も支持する。2006年2月15日にはメスバーフ・ヤズディーの有名な弟子モフセン・ゴルーリヤーンが核兵器の使用も宗教的合法性を持ちうるとの発言をした[5][6]。核兵器については2005年、最高指導者アリー・ハーメネイーが核兵器の製造・備蓄を禁止するファトワーを発している。

メスバーフ・ヤズディーは原理の固持を好み、次のように言う。

イスラームの新しい解釈があるという者あれば、その者の口に靴下をはかせよ[5]

しかしながらメスバーフ・ヤズディーはマルジャではなく、またゴムのウラマーらの多数から支持を受けているわけではない[7][要出典]

あだ名

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「ワニ教授」というあだ名をもつ。これはワニの姿をした研究者が尾でジャーナリストを絞め殺している漫画に由来する。漫画はニーカーハング・コウサルの手になるもので、ウラマーによる表現の自由への抑圧を風刺したものである。ペルシア語でワニはテムサーフ(تمساح)でメスバーフと韻を等しくする。作者はこの表現により逮捕収監された [5]

ホッジャティエとの関係をめぐる噂

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インターネット上で広がる噂に、アーヤトッラー・メスバーフ・ヤズディーがホッジャティエ集団の最高位人物であるというものがある。メスバーフ・ヤズディーはこの噂を非難し、自分とホッジャティエの関係を持ち出す者がいるなら、その者が支持する全てを非難する、と言っている[12]。ホッジャティエは、アーヤトッラー・ホメイニーが不快感を示し、名目上1983年に解散されたものの、ひそかに集団を維持強化し続けたと言われる[要出典]

語録

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  • 「真正にして貴重な知識は、神への畏れに達することのできるもの」
  • 「我らの魂を犠牲にする以外に偽善の顔を取り去る方法がないなら、我らはそうすべきだ」[8](ペルシア語)
  • 「試練の概念は、神のお命じになるところ」[9](ペルシア語)
  • 「我らは知らねばならぬ。1400年前のクルアーンがいっていることを。すなわち、イスラームの敵は平和を求め続ける叫びにあっても、常に戦いを挑んでくると」[5]"
  • 「イスラームの清浄を辱める者があるならば、イスラームはその血が流されることを許容しており、これについて法廷は不要である」[11]

脚注

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  1. ^ [1]
  2. ^ 16 نماينده استان تهران در مجلس خبرگان مشخص شدند ” (ペルシア語). بازتاب (2006年12月15日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月4日閲覧。
  3. ^ a b Ayatollah who backs suicide bombs aims to be Iran's next spiritual leader” (英語). Telegraph (November 19, 2006). 2007年2月4日閲覧。
  4. ^ Translator's Introduction” (英語). www.mesbahyazdi.org (December 4, 2006). 2007年2月4日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h The rise of Prof 'Crocodile' - a hardliner to terrify hardliners” (英語). Telegraph (November 20, 2006). 2007年2月4日閲覧。
  6. ^ Political Jurisprudence: Martyrdom Operations” (英語). www.mesbahyazdi.org (February 15, 2006). 2007年2月4日閲覧。
  7. ^ پايگاه اطلاع رسانى آثار حضرت آيت الله مصباح يزدی” (ペルシア語). www.mesbahyazdi.org (February 15, 2006). 2007年2月4日閲覧。
  8. ^ [2]
  9. ^ Biography” (英語). www.mesbahyazdi.org (February 15, 2006). 2007年2月4日閲覧。
  10. ^ Qabas.net” (英語). The Imam Khomeini Institute for Education and Research (December 17, 2005). 2007年2月4日閲覧。
  11. ^ a b Iran Nuclear Crisis: Islamist Fantasies And Harsh Realities” (英語). Western Resistance (April 20, 2006). 2007年2月4日閲覧。
  12. ^ آیت‌الله مصباح: احمدی‌نژاد اشتباه كرده” (ペルシア語). Sharif News (2006年4月29日). 2007年2月4日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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