ハロー・メリー・ルー
「ハロー・メリー・ルー」(Hello Mary Lou)は、1957年に発表されたアメリカ合衆国の楽曲「メリー、メリー・ルー」(Merry, Merry Lou)をもとにした歌曲。1961年のリッキー・ネルソンによるバージョンが、代表的な歌唱として広く知られている。
概要
[編集]メリー、メリー・ルー
[編集]後にドミニコ会の神父となったケイエット・マンジアラシーナ (Cayet Mangiaracina)が書いた「メリー、メリー・ルー (Merry, Merry Lou)」という曲が、彼がピアニストをしていたスパークス (The Sparks) というグループによって1957年にデッカ・レコードで吹き込まれ、ニューオーリンズ一帯でローカルなヒットとなった[1][2]。また、ビル・ヘイリーやサム・クックも、この曲を取り上げた[1][2]。
後に、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」(後述)が広く知られるようになると、「メリー、メリー・ルー」との類似が指摘され、程なくして、マンジアシーナの名は「ハロー・メリー・ルー」の共作者としてクレジットされるようになり、著作権使用料も支払われるようになった[1]。
ハロー・メリー・ルー
[編集]「ハロー・メリー・ルー」 | ||||
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リッキー・ネルソン の シングル | ||||
初出アルバム『Rick Is 21』 | ||||
A面 | トラベリン・マン | |||
リリース | ||||
時間 | ||||
レーベル | インペリアル・レコード #5741 | |||
作詞・作曲 |
ジーン・ピットニー ケイエット・マンジアラシーナ | |||
作曲 | ジーン・ピットニー | |||
チャート最高順位 | ||||
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リッキー・ネルソン シングル 年表 | ||||
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「ハロー・メリー・ルー」は、当初はジーン・ピットニーの単独作曲作品とされ、1960年にカントリー歌手のジョニー・ダンカンが最初に歌い[3]、翌1961年にリッキー・ネルソンが取り上げた[4]。
ネルソンのバージョンは、チャートの首位に立つヒットとなった「トラベリン・マン」(Imperial 5741) のB面に収められ、1961年5月28日付『ビルボード』誌のチャートで9位まで上昇した。イギリスでは。この曲はA面としてリリースされ(B面はドーシー・バーネットの「It's Late」)、2位まで上昇した。ヨーロッパにおいても、多くの国でヒット曲となり、特にノルウェーでは、14週間にわたってチャートの首位に居座った。こうした経緯から、ネルソンはこの曲の代表的な歌手となっている。
ネルソンのバージョンがヒットした後に、「メリー、メリー・ルー」との類似性が指摘され、以降この曲は、ピットニーとマンジャラシーナの共作として扱われるようになった[1][5]。
ネルソンのバージョンには、後進に大きな影響を与えたジェームズ・バートンのギター・ソロが盛り込まれており、ブライアン・メイなど、後のギタリストたちによってしばしば引用されている。ピアノは、1959年11月に、それまでネルソンの常連セッション・ピアニストだったジーン・ガーフ (Gene Garf) の後任となったレイ・ジョンソン (Ray Johnson)[6]、さらに、ベースはジョー・オズボーン (Joe Osborne)、ドラムはリッチー・フロスト (Ritchie Frost) であった[7]。
この曲は、ネルソンの6枚目のアルバム『Rick Is 21』に収録されている。その後、1982年8月にキングレコードより再発盤され、同年のキユーピー「マヨネーズ・アメリカン」のCM使用曲とされている。
カバー
[編集]- ザ・シーカーズ - 1968年のライブ・アルバム『Live at the Talk of the Town』に収録[8]。
- ブラウンスヴィル・ステーション - 1970年のアルバム『No BS』に収録。
- ボビー・ルイス - 1970年のシングル。全米カントリー・トップ15入りを果たした。(このボビー・ルイスは、「Tossin' And Turnin'」のヒットで知られる同名の歌手とは別人)
- レッド・ツェッペリン - 2003年に発表された3枚組アルバム『伝説のライヴ』に収録。録音は1972年6月。「胸いっぱいの愛を」メドレーの中で。
- クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル - 1972年の最後のスタジオ・アルバム『Mardi Gras』に収録。
- ファンブル - 1972年のデビュー・アルバム『Fumble』に収録。
- ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ - 1972年のアルバム『Powerglide』に収録。
- ロギンス&メッシーナ - 1975年のアルバム『So Fine』に収録。
- The Statler Brothers - 1985年のアルバム『Pardners in Rhyme』に収録。
- クイーン - 1986年のマジック・ツアーでこの曲を演奏。1992年のライブ・アルバム『クイーン・ライヴ!!ウェンブリー1986』に収録。
- ダニエル・オドネル - 2004年のアルバム『The Jukebox Years』に収録。
この曲は、ペトゥラ・クラークによってフランス語でカバーされ(「Bye Bye Mon Amour」)、さらに(アメリカ合衆国のバンド)La Musique Populaireのアルバム『A Century of Song』では、1961年の音楽を代表する曲として取り上げられた。
日本語によるカバー
[編集]ザ・ピーナッツは、1961年に音羽たかしの日本語詞により「ヘロー・メリー・ルー」として、シングル「ペピト」のB面にこの曲を収録した[9](編曲:宮川泰 / 演奏:シックス・ジョーズ ウィズ・ラテン・リズム)。
また1962年2月発売の弘田三枝子による音源は当時シングル・カットされていなかったものの積極的にCD化されており、2018年現在入手しやすくなっている(日本語詞:みナみカズみ / 編曲:ダニー飯田)[10][11]。
日本における著作権
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JASRACに於いては2018年現在、外国作品/出典:PJ (サブ出版者作品届) /作品コード 0H0-2080-9 HELLO MARY LOU / GOODBYE HEART /として登録[12]。内外含め計26組の歌手が「アーティスト」として登録されている[12]。
本作の音楽出版者は、SONGS OF UNIVERSAL INCとSIX CONTINENTS MUSIC PUBLISHING INC。日本におけるサブ出版[13] はユニバーサル・ミュージック・パブリッシング Synch事業部、シンコーミュージック・エンタテイメント、ワーナー・チャペル音楽出版株式会社 Synch事業部、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスの各社が持っており、出版・録音・演奏など用途で利用許諾申請の窓口が異なるため注意が必要である[12]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “Rock and Roll 101: Ricky Nelson “Hello Mary Lou”… and the Priest Who Wrote It”. Altsounds Ltd. 2015年3月24日閲覧。
- ^ a b “THE SPARKS ■ MERRY,MERRY LOU / OL' MAN RIVER”. NIGHT BEAT RECORDS. 2015年3月24日閲覧。:記事中「ドミニカ人」とあるのは、マンジアシーナが「ドミニコ会修道士」であることの誤釈。
- ^ Second Hand Songs
- ^ “Hello Mary Lou Goodbye Heart (Legal Title)”. Repertoire.bmi.com. 2012年8月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ こうした経緯のため、作者としてピットニーの名だけが挙げられる場合もある。:デジタル大辞泉プラス『ハロー・メリー・ルー』 - コトバンク
- ^ “Ray Johnson”. rockabilly.nl. 2013年3月2日閲覧。
- ^ Rick Is 21
- ^ The Seekers - Live At The Talk Of The Town (Vinyl, LP) at Discogs
- ^ “ペピト/ヘロー・メリー・ルー”. ピーナッツ・ホリデー. 2015年3月30日閲覧。
- ^ ISRCによると1992年には音源がデジタル化されている(JPTO09250100)。
- ^ 代表的なものでは『ミコちゃんのヒット・キット・パレード』(1996年7月10日 / 規格品番:TOCT-9515〜6)に収録。後にデジタルリマスタリングを施し同名のアルバム再発(2005年6月15日 / 規格品番:TOCT-11012〜3)。
- ^ a b c JASRAC作品データベース検索サービス J-WID 検索結果
- ^ 音楽出版者が全世界の地域について単独でその活動を行うことは難しいことから、特定地域の出版者と、その地域についての利用開発やプロモーションを任せる契約を結ぶことがある。この場合、作詞者・作曲者から直接権利を取得した音楽出版者はOP(Original Publisher)と呼称し、OPと契約を結び特定地域についての活動を任せられた音楽出版者はSP(Sub Publisher)と呼称する。