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メスヘティア・トルコ人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

メスヘティア・トルコ人 (アフスカ・テュルクレリ トルコ語: Ahıska Türkleriロシア語: Турки-месхетинцыグルジア語: მუსლიმი მესხები)は、かつてグルジアメスヘティ英語版に居住していたスンナ派ハナフィー学派ムスリムである。

歴史

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彼らは1944年11月25日ヨシフ・スターリンによって中央アジアに強制移住され、カザフスタンキルギスウズベキスタンに住んだ。家畜運搬車で強制移住させられた12万人のうち、1万人が死亡した[1]。現在、彼らは旧ソビエト連邦の各国へ逸散した。メスヘティア・トルコ人のおおくは民族的にはトルコ人Yerliトルコ語話者の農民)やカラカルパク人アゼルバイジャン語を話す羊飼い)、クルド人ヘムシン人Hamshenis)などであった。一部には地元のグルジア人で、17世紀から18世紀にかけてムスリムとなった者も含まれる。

1989年6月、ウズベキスタンのフェルガナ渓谷(Fergana Valley)にて、グラスノスチの間に高まりつつあった民族間の緊張の結果、群集によるメスヘティア・トルコ人に対するポグロムフェルガナ事件トルコ語版ロシア語版英語版[2])が起こった[3][4][5]。これによってメスヘティア・トルコ人はウズベキスタンからの脱出が引き起こされた。

1990年代、グルジアはメスヘティア・トルコ人の居住者を受け入れ、彼らにグルジア人としての民族自認を与えた。メスヘティア人に対する人権活動家の代表的な者としてはGuram Mamuliaがいる。メスヘティア人の移入は、サムツヘ=ジャヴァヘティ州におけるアルメニア人との間に緊張をもたらした。アゼルバイジャンもまたメスヘティア・トルコ人を受け入れたが、ナゴルノ・カラバフからの避難民との間に問題が起こり、アゼルバイジャン政府は多くを受け入れることはできなかった。トルコは、多くのメスヘティア・トルコ人から自らの本国であると見られており、彼らはメスヘティア・トルコ人を受け入れてクルド人の多く住む開発途上の東部地方に居住させるキャンペーンを始めた。しかしながら、このキャンペーンでは200人程度を受け入れたのみで、わずかの後に失敗に終わった。ソビエト連邦の政府はメスヘティア・トルコ人を特定のロシアの州に住まわせることを推奨し、1992年にはその多くがロシア連邦の国籍を得た。クラスノダール地方へ移住した者たちの法的地位は未だに定まっておらず、多くが無国籍である[6]。彼らの存在によって地元のコサックとの間に緊張が生まれた[7]。この問題を解決するために、国際移住機関はクラスノダール地方のメスヘティア・トルコ人をアメリカ合衆国へと移住させるキャンペーンを2004年から2007年まで続けた。ロシア政府の協力により、およそ11,500人がロシアを去った。

脚注

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  1. ^ Guram Mamulia | US news | The Guardian as retrieved on 29 Apr 2008 20:59:44 GMT
  2. ^ 高崎通浩 2002.
  3. ^ Kolstø & Edemsky 1995, p. 224.
  4. ^ Collins 2006.
  5. ^ Pohl 1999, p. 18.
  6. ^ О положении турок-месхетинцев в Краснодарском крае Российской Федерации, Russian Ministry of Foreign relations document
  7. ^ Peter Finn (Friday, November 18, 2005). “Revival of Cossacks Casts Muslim Group Out of Russia to U.S.”. The Washington Post: p. A19. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/11/17/AR2005111702014.html 

参考文献

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  • Robert Conquest, The Nation Killers: The Soviet Deportation of Nationalities (London: MacMillan, 1970) (ISBN 0-333-10575-3)
  • S. Enders Wimbush and Ronald Wixman, "The Meskhetian Turks: A New Voice in Central Asia," Canadian Slavonic Papers 27, Nos. 2 and 3 (Summer and Fall, 1975): 320-340
  • Alexander Nekrich, The Punished Peoples: The Deportation and Fate of Soviet Minorities at the End of the Second World War (New York: W. W. Norton, 1978) (ISBN 0-393-00068-0).
  • Kolstø, Pål; Edemsky, Andrei (1995). Russians in the Former Soviet Republics. Indiana University Press. ISBN 0253329175 
  • Pohl, J. Otto (1999). Ethnic Cleansing in the USSR, 1937-1949. Greenwood Press. ISBN 0313309213 
  • 高崎通浩『民族対立の世界地図 アジア/中東編』中央公論新社〈中公クラレ新書〉、2002年。ISBN 4121500423 
  • Collins, Kathleen (2006). Clan Politics and Regime Transition in Central Asia. Cambridge University Press. ISBN 0521839505 
  • Emma Kh. Panesh and L.B. Ermolov (Translated by Kevin Tuite). Meskhetians. World Culture Encyclopedia. Accessed on September 1, 2007.

関連項目

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外部リンク

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