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ムラート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムラトーから転送)
ムラート
居住地域
ラテンアメリカカリブ海アメリカ合衆国南アフリカ共和国カーボベルデ
言語
ポルトガル語スペイン語英語フランス語アフリカーンス語
宗教
キリスト教(大多数がローマ・カトリックプロテスタントは少数)、イスラム教、その他
関連する民族
ヨーロッパ人(特にポルトガル人スペイン人イギリス人フランス人オランダ人)、アフリカ人
南北アメリカのムラートの民族旗
インディアンとムラートからチノが生まれる」という題の、南米におけるムラートの絵図。(1770年)。
ニグロとムラートからサンボが生まれる」(1770年)。

ムラート (Mulatto, Mulato) は、ラテンアメリカおよび北アメリカでヨーロッパ系白人と、アフリカ系の特に黒人との混血を指す言葉である。ムラットともいう。なお、女性だけを指していう場合はムラータ (Mulata) という。

概要

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元々は、片方の親がヨーロッパ系でもう片方の親がアフリカ系の子供のことを指していたが、現在ではある程度、両方の系統が混じっている人々のことを指すようになった。「黒人と白人の混血者」と説明されることも多い。なお、ヨーロッパ系白人とインディアンインディオとの混血をメスティーソ、アフリカ系とインディオの混血をサンボという。アメリカ合衆国ではインディアンと黒人との混血がムラートと呼ばれ、ヨーロッパ系とアフリカ系との混血は、ワンドロップ・ルールにより黒人と呼ばれた。

この言葉は、スペイン語およびポルトガル語で雌ラバロバを掛け合わせた品種)を意味するmulaから来ており、強く侮蔑的な意味を含んでいる[1]

ムラートの多い国は、ドミニカ共和国キューバプエルトリコなどのカリブ海の国々と、南アメリカブラジルコロンビアベネズエラ中央アメリカパナマエクアドルなどであり、アルゼンチンウルグアイチリボリビアメキシコなどにも少人数、存在する。

西インド諸島の国家の間で「世界初の黒人共和国」と呼ばれるハイチでは、独立以来国民の約5 - 10%に当たるムラートがエリート層を形成し、フランス文化を受け入れて、その他大勢の黒人に対して文化的・経済的に圧倒的に優位に立ち権力を握っている。

アフリカ

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ポルトガル語圏アフリカ諸国では、メスチーソmestiço)の用語が、公式にヨーロッパ人とアフリカ人の祖先を併せ持つ人々を表すのに使用されてきた。しかしながら、ムラートという用語は広く用いられていて侮蔑的な意味を含まない。

サントメ・プリンシペの193,413人の住人の大部分はメスチーソと定義される[2]カーボ・ヴェルデの人口の71%もまた同様である[3]。現在のその地の大多数の人口は15世紀の少し後に初めて諸島に定住したポルトガル人と、アフリカ大陸本土から奴隷として連行された黒人の混血である。

アンゴラは人口の2%を占め、モサンビークは人口の0.2%を占めている。少数派であるが今でも重要なマイノリティを構成している。

アフリカで唯一のスペイン語を公用語とする国家、赤道ギニアでは、フェルナンディノと呼ばれるムラートの集団が存在する。

アメリカ合衆国

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ムラートは1930年まで公式のカテゴリとしてセンサスに存在していた。アメリカ合衆国南部では、ムラートは母親が黒人奴隷だった場合、奴隷としての地位を受け継いだ。自由ムラートとして、南部の南北戦争より先にスペインとフランスの影響を受けた地域(特にニューオーリンズルイジアナ)では、多くのムラート達は自由身分で、奴隷を所有していた[4]。けれどもヨーロッパ白人とアフリカ黒人の遺伝を持つ個人を見出すことは容易であり、当初は誰もが混血エスニシティについて言及した。アメリカ合衆国では、実際に初期のセンサスにおいて「ムラート」はしばしば白人とインディアンの血統を持つ人を指す用語としても使われた[5][6][7][8]。ムラートは「ターク(turk)」(多くの北アメリカ人と中東人を言及する際に更なる曖昧さを導く単語)のような用語と交換が効く言葉としても使われた[9]

また、「ムラート」は東インド会社によってイギリス領アメリカ植民地にもたらされた南アジア人の年季奉公人と結ばれた白人の間に生まれた子孫についても用いられた。例えば、東インド人の父とアイルランド系アメリカ人の母の間に1680年のメリーランドで生まれたユーラシア系の娘は「ムラート」として分類され、奴隷として売られた[10]

差別規定

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奴隷解放後の19世紀後半以降、ある人物が白人と黒人の混血であっても、たとえ「一滴(1/32-1/64)」でも黒人の血を引いていれば法律上は黒人という扱いになり各州で「一滴規定」が適用された時代もあった。

著名なムラート

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アメリカ合衆国
アルゼンチン
イングランド
キューバ
ジャマイカ
ハイチ
ブラジル
フランス
ベネズエラ
メキシコ
モザンビーク

脚注

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  1. ^ ジョアン・マノエル・リマ・ミラ「ラテンアメリカにおけるアフリカ系文化」子安昭子/高木綾子(訳)『ラテンアメリカ人と社会』中川文雄/三田千代子 (編)新評論 1995/10
  2. ^ São Tomé and Príncipe”. Infoplease. Pearson Education, Inc. 2008年7月14日閲覧。
  3. ^ Cape Verde”. Infoplease. Pearson Education, Inc. 2008年7月14日閲覧。
  4. ^ Sweet, Frank W. (2005年6月1日). “Barbadian South Carolina: A Class-Based Color Line”. Essays on the Color Line and the One-Drop Rule. Backintyme Essays. 2008年7月14日閲覧。
  5. ^ Mulatto - An Invisible American Identity”. Race Rekations. About.com. 2008年7月14日閲覧。
  6. ^ Introduction”. Mitsawokett: A 17th Century Native American Community in Central Delaware. 2009年6月9日閲覧。
  7. ^ Walter Plecker's Racist Crusade Against Virginia's Native Americans”. Mitsawokett: A 17th Century Native American Settlement in Delaware. 2008年7月14日閲覧。
  8. ^ Heite, Louise. “Introduction and statement of historical problem”. Delaware's Invisible Indians. 2008年7月14日閲覧。
  9. ^ de Valdes y Cocom, Mario. “The Van Salee Family”. The Blurred Racial Lines of Famous Families. PBS Frontline. 2008年7月14日閲覧。
  10. ^ Francis C. Assisi (2005年). “Indian-American Scholar Susan Koshy Probes Interracial Sex”. INDOlink. 2009年1月2日閲覧。

参考文献

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  • ジョアン・マノエル・リマ・ミラ「ラテンアメリカにおけるアフリカ系文化」子安昭子/高木綾子(訳)『ラテンアメリカ人と社会』中川文雄/三田千代子 (編)新評論、1995年10月、ISBN 4-7948-0272-2

関連項目

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