三浦保
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(ミウラート・ヴィレッジから転送)
三浦 保(みうら たもつ、1928年12月13日 - 1996年9月9日)は、日本の実業家、芸術家、三浦工業の創始者。愛媛県松山市生まれ。
略歴
[編集]- 1945年(昭和20年) 松山工業学校(現在の愛媛県立松山工業高等学校)機械科卒業。
- 1948年(昭和23年) 徳島工業専門学校機械科(現在の徳島大学理工学部)卒業、四国機械工業(現・住友重機械工業愛媛製造所)入社。同年退社し、父・政次郎の三浦製作所に入社して精麦機などの改良開発に取り組む。
- 1953年(昭和28年)1月10日、妻・昭子と結婚。
- 1959年(昭和34年)三浦製作所を株式会社として立ち上げ、代表取締役社長就任。
- 1978年(昭和53年)販売部門の三浦工業(株)を吸収合併し、三浦工業に統合。
- 1989年(平成元年)代表取締役会長就任。
- 1992年(平成4年)県内3番目の民放フルネット局として(株)伊予テレビ(現・あいテレビ)開局、地元経済界からの推挙により代表取締役社長就任。
- 1996年(平成8年)9月9日、肝臓癌のため松山市民病院にて死去。享年69、戒名「融照院了雅無相保真居士」
芸術家として
[編集]能楽においては、松山と縁の深い観世流職分藤井久雄主宰の観謳会で研鑽を積み、1981年、松山市内能楽堂にて大曲「安宅」を披いた。その後、1987年には東京・国立能楽堂にて「安宅」再演。これらの功績により、観世流名誉師範の称を得た。また、狂言にも親しみ、地元公演会などに出演した。
本社玄関に飾るべく、三浦が技法を開発した陶板画「Miurart(ミウラート)」は、本社隣接のMiurart Village(長谷川逸子設計)に多数展示されている他、県内各所に寄贈されている。
1993年、国際コンテンポラリーアートフェア(NICAF)出品、翌年にはニューヨークにて個展を開いた。
公職、受賞
[編集]- 全国貫流ボイラー製造協会会長(1975年- )
- (財)愛媛保護観察協会副会長(1977年- )
- (社)愛媛能楽協会第一副会長(1978年- )
- (社)発明協会愛媛県支部理事(1979年- )
- 愛媛県経済同友会代表幹事(1983年- )
- 愛媛県文化振興財団理事(1983年- )
- 愛媛県海外協会副会長理事(1983年- )
- 愛媛県立美術館友の会会長(1986年- )
- 科学技術庁長官表彰、運輸大臣表彰(1986年)
- 藍綬褒章(1987年)
- (社)愛媛県機械金属工業会会長(1987年- )
- 松山商工会議所副会頭(1988年- )
- 愛媛県保護司連盟会長(1988年- )
- 愛媛県アマチュア陶芸連盟会長(1988年- )
- 四国経済連合会副会長(1989年- )
- (財)三浦教育振興財団理事長(1990年- )
- 法務大臣表彰(1993年- )
参考文献
[編集]- 「三浦グループ創業者物語 伝記「夢」三浦保」(1998年、非売品)
- (社)愛媛能楽協会編「愛媛能楽史」(1989年)