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マーティ・キーナート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マーティ・キーナート(Marty Kuehnert、1946年7月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のスポーツライター評論家及びプロ野球チーム「東北楽天ゴールデンイーグルス」の初代ゼネラルマネージャー(GM)で社長補佐を務める。

人物・経歴

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スタンフォード大学政治学部出身。

1965年、スタンフォード大学在籍中に慶應義塾大学に特別交換留学生として初来日し[1]、卒業後の1969年に再来日し、慶大インターナショナルセンター日本語コースを修了、以後日米を通じたスポーツビジネスに身をおく。

1972年ロッテオリオンズ子会社のA級カリフォルニアリーグローダイ・オリオンズのゼネラルマネージャーを務めた後、1974年には太平洋クラブライオンズのフロントとして入団し、営業開発促進室室長としてファンサービスの原点を日本へ持ち込んだ。

日本人の妻を持ち、1974年ニューヨーク・タイムズ紙において、前年ヤクルトアトムズを退団したジョー・ペピトーンが物価の高さを主に日本を激しく批判する記事が載った際には、反論文をMLB全24球団とニューヨーク・タイムズ紙に送っている[2]

その後はスポーツライターとして日本とアメリカのスポーツ文化の違い、またアメリカ人の目で見た日本のスポーツ界の現況をレポートしている。また日本に当時存在しなかったアメリカンスタイルのスポーツバーを持ち込み経営した。その他、サンテレビプロ野球解説者(阪急ブレーブス戦)、関西テレビなどでの英語中継の実況アナウンス、テレビ東京スポーツTODAY』のキャスター、毎日放送世界まるごとHOWマッチ!!』のゲスト解答者なども務めた。1990年から1993年にかけて、シカゴ・ホワイトソックス傘下AA級バーミングハム・バロンズのオーナーとなったこともある。

また、多くの外国人助っ人のエージェントも務め、現在もランディ・バースの代理人を務める。また、ベースボールカードビジネスも日本に紹介、ベースボールマガジンカード社の設立に加わる[要出典]

2004年10月、翌2005年からNPBパシフィック・リーグに参入した新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)」の初代ゼネラルマネージャー(GM)に就任した[3]。しかし、参入初年度となった2005年4月後半、チームの負けが込み連敗が2桁になったことを理由に、4月29日付でGMを解任されて球団アドバイザーに降格となった。その後、2008年より球団社長補佐を務め、現在はシニア・アドバイザーを務める。

2005年東北大学特任教授、2009年仙台大学副学長兼教授に就任。

また2018年より、Bリーグに所属するプロバスケットボールチームである仙台89ersのオーナー代行兼シニアGMに就任した[1]

その他

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  • 大事MANブラザーズバンドのCDアルバム「FOR THE KIDS」に収録されている「キボウ(FOR THE KIDS)」にて、冒頭の英文のナレーションを担当している。
  • 2002年7月にパンチョ伊東(伊東一雄)が逝去した際に、追悼文の中で「明らかにカツラだったが、死ぬまでその髪型を貫いた男」と評している。

関連情報

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テレビ出演

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ドラマ出演

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著書

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脚注

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注釈

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  1. ^ マイクロソフト社のニュースサイトMSNジャーナル」への連載をスピンアウトして構成。

出典

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  1. ^ a b 阪神大震災でも東日本大震災でも被災したマーティ・キーナート氏が取り組んでいること”. スポーツ報知 (2021年3月18日). 2023年8月14日閲覧。
  2. ^ 伊東一雄. メジャーリーグこそ我が人生:パンチョ伊東の全仕事. サンケイスポーツ. p. 232-233 
  3. ^ 楽天球団、キーナート氏がゼネラルマネジャーに”. asahi.com. 朝日新聞社 (2004年10月5日). 2023年8月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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