マーシア伯
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マーシア伯(英語: Earl of Mercia)とは後期アングロ・サクソン時代からアングロ・ノルマン時代にかけてイングランドに存在した爵位である。この時代において、マーシア伯はかつてのマーシア王国領を所領として有していた。10世紀にはウェセックス王家配下のエアルドルマンによって統治されていたが、アングロ・デーン時代には伯爵領へと変化した[1]。エドワード懺悔王の治世時代、マーシア伯領はレオフリクと彼の一族によって統治された。この一族は当時イングランドで大きな権力を握っていたゴドウィン家のゴドウィンと政治的に対立する貴族であった。1066年にノルマン・コンクエストが行われたのち、ウィリアム征服王によってマーシア伯領はレオフリク一族の1人であるエドウィンに授けられた[2]。しかし1071年、エドウィンがウィリアム王に対する反乱に加担したことを受け、ウィリアム王はエドウィンからマーシア伯の爵位や領地、財産を没収した[3]。エドウィンの死後、マーシア伯は消滅し、マーシア伯はチェスター伯やシュルーズベリー伯に分割されていった。
エアルドルマンとマーシア伯の一覧
[編集]エアルドルマン
[編集]- エルファー(950年代 - 983年)
- エルフリック・キルド(983年 - 985年)
- エアドリク・ストリオナ(1007年 - 1017年)[4]
伯爵
[編集]脚注
[編集]- ^ Anglo-Saxon Chronicle, 1017: "This year King Knute took to the whole government of England, and divided it into four parts: Wessex for himself, East-Anglia for Thurkyll, Mercia for Edric, Northumbria for Eric."
- ^ Crouch p100
- ^ Mason p192
- ^ Anglo-Saxon Chronicle, 1007: "In this year also was Edric appointed alderman over all the kingdom of the Mercians.", 1017: "This year also was Alderman Edric slain at London".
参考文献
[編集]- Stephen Baxter, The Earls of Mercia: Lordship and Power in Late Anglo-Saxon England (2007) ISBN 1-281-15034-7
- David Crouch, The Normans (2002) ISBN 1-85285-387-5
- Emma Mason, The House of Godwine (2004) ISBN 1-85285-389-1