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マルセリーノ・ルッキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルチェリーノ・ルッキ
グランプリでの経歴
国籍 イタリアの旗 イタリア
活動期間 1982年 - 1991年1993年 - 2001年2004年
チーム アプリリア
レース数 78
優勝回数 1
表彰台回数 5
通算獲得ポイント 278
ポールポジション回数 3
ファステストラップ回数 1
初グランプリ 1982年 250cc ネイションズGP
初勝利 1998年 250cc イタリアGP
最終勝利 1998年 250cc イタリアGP
最終グランプリ 2004年 250cc マレーシアGP
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マルチェリーノ・ルッキ(Marcellino Lucchi、1957年3月13日 - )は、イタリアチェゼーナ出身の元モーターサイクルロードレースライダー

経歴

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20歳の時にレースを始め、その5年後の1982年にはロードレース世界選手権250ccクラスにデビューした。イタリアの国内選手権では1992年から1997年まで6年連続で250ccクラスのチャンピオンを獲得するなど高いライディング能力を持っていたにもかかわらず、GPでは体制に恵まれず、平日はごみ収集員として働く傍ら、ワイルドカード枠でイタリアでのレースを中心に参戦する年が続いた。

年間数戦の出場にもかかわらず、ルッキは地元ムジェロでは1995年から1997年にかけて毎年表彰台を獲得(1997年にはさらにポールポジションも獲得)するなどの活躍を見せた。この活躍が認められて、翌1998年にはアプリリアと開発ライダーとして長期の契約を結び、ごみ収集の仕事を辞めてプロとしてバイクレースに集中できるようになった[1]

そして1998年第4戦、得意のムジェロでのイタリアGP、レースは雨のため中断されて2ヒート制となったが、ルッキは合計タイムでバレンティーノ・ロッシ原田哲也ロリス・カピロッシらを抑え、遂に初優勝を果たした。41歳にして夢を叶えたルッキは、表彰台の中央で歓喜の涙を流した[1]

ルッキは開発ライダーを務めながら2001年まで250ccクラスに参戦を続け、その後はアプリリアのMotoGPマシン、RS CUBEの開発に専念していたが、2004年第14戦セパンで、負傷したマヌエル・ポジャーリの代役として久々にレース復帰を果たした。結果は16位とポイント獲得は叶わなかったが、「レースをエンジョイすることができた」と47歳のルッキはインタビューに答えた[2]

ロードレース世界選手権 戦績

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シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP ポイント 順位
1982年 250cc ヤマハ 3 0 0 0 9 24位
1983年 250cc - 1 0 0 0 0 -
1984年 250cc - 2 0 0 0 0 -
1985年 250cc - 2 0 0 0 0 -
1986年 250cc - 5 0 0 0 0 -
1987年 250cc - 4 0 0 0 0 -
1988年 250cc - 1 0 0 0 0 -
1989年 250cc アプリリア 2 0 0 0 17 25位
1990年 250cc アプリリア 12 0 0 0 23 19位
1991年 250cc アプリリア 11 0 0 0 5 29位
1993年 250cc アプリリア 1 0 0 0 5 28位
1994年 250cc アプリリア 1 0 0 0 11 20位
1995年 250cc アプリリア 2 0 1 0 22 19位
1996年 250cc アプリリア 5 0 1 0 41 16位
1996年 500cc アプリリア 2 0 0 0 1 32位
1997年 250cc アプリリア 3 0 1 1 30 18位
1998年 250cc アプリリア 5 1 2 0 52 15位
1999年 250cc アプリリア 10 0 0 1 49 17位
2000年 250cc アプリリア 3 0 0 1 9 26位
2001年 250cc アプリリア 2 0 0 0 13 24位
2004年 250cc アプリリア 1 0 0 0 0 -
合計 78 1 5 3 278

脚注

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外部リンク

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