マークス・シュタインヘーファー
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
バーゼル時代(2011年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | シュタイニー、シュタイン | |||||
ラテン文字 | Markus Steinhöfer | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1986年3月7日(38歳) | |||||
出身地 | ヴァイセンブルク・イン・バイエルン | |||||
身長 | 175cm[1] | |||||
体重 | 69kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF (RSB, RMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1989-1998 | ヴァイセンブルク | |||||
1998-1999 | ロート | |||||
1999-2002 | ニュルンベルク | |||||
2002-2004 | バイエルン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | バイエルンII | 57 | (2) | |||
2006-2008 | → ザルツブルク (loan) | 48 | (2) | |||
2008-2010 | フランクフルト | 41 | (3) | |||
2010 | → カイザースラウテルン (loan) | 15 | (2) | |||
2011-2013 | バーゼル | 76 | (1) | |||
2013-2014 | ベティス | 3 | (0) | |||
2014-2015 | 1860ミュンヘン | 18 | (0) | |||
2014 | → 1860ミュンヘン II | 4 | (1) | |||
2015 | VfRアーレン | 9 | (3) | |||
2015-2016 | スパルタ・プラハ | 7 | (0) | |||
2017-2018 | ダルムシュタット | 22 | (0) | |||
2018-2019 | アイヒシュテット | 21 | (4) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2002 | ドイツ U-16 | 9 | (1) | |||
2004 | ドイツ U-18 | 2 | (0) | |||
2003-2005 | ドイツ U-19 | 9 | (2) | |||
2007 | ドイツ U-21 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マークス・シュタインヘーファー(Markus Steinhöfer. 1986年3月7日 - )は、西ドイツ(現ドイツ)・ヴァイセンブルク=グンツェンハウゼン郡ヴァイセンブルク出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF、MF(右サイドバック、右サイドハーフ)。
経歴
[編集]キャリア初期
[編集]地元のアマチュアクラブでプレーしている頃に、1.FCニュルンベルクのスカウトに発掘される。同クラブのサテライトチームに所属するものの、年齢的な理由もあり公式戦には出場できず。しかし同リーグのFCバイエルン・ミュンヘンからの誘いを受け移籍。同クラブのU19チームでプレーした後、サテライトチームでもレギュラーとして57試合に出場。U19ドイツ・ブンデスリーガ優勝、ドイツ・レギオナルリーガ南部優勝を経験する。
ザルツブルク
[編集]2006年夏にオーストリア・ブンデスリーガのレッドブル・ザルツブルクへレンタル移籍[2]。元々は右サイドハーフであったが、レッドブル・ザルツブルク移籍後は主に右サイドバックとしてプレー。また、チーム状況によっては左サイドバックとしても試合に出場している。攻撃的なプレースタイルで知られており、時折豪快なロングシュートを決めるクラブの人気選手となった。
2006-07シーズンのリーグ優勝に貢献した他、UEFAチャンピオンズリーグ予選やUEFAカップ本大会での出場を果たす。
フランクフルト
[編集]ボルシア・メンヘングラードバッハからの関心も寄せられる中、2008年2月13日に翌シーズンよりドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ移籍することがザルツブルクの公式ホームページで発表された[3]。90万ユーロの移籍金が保有元のバイエルンに支払われ、契約期間は3年となる。フリートヘルム・フンケル監督の下で再び中盤へポジションを移し、レギュラーとしてプレーした[4]。2009-10シーズンよりミヒャエル・スキッベが新監督に就任すると出場会が減少し、移籍を模索する[5]。翌年1月からシーズン終了までは、1.FCカイザースラウテルンへローンとなった[6]。
バーゼル
[編集]2011年1月26日、スイス・スーパーリーグのFCバーゼルと2年半の契約を締結した[7]。同クラブでは攻撃的な右サイドバックとしてレギュラーポジションを確保[8]。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、グループリーグでマンチェスター・ユナイテッドFCとの直接対決を制し2位通過を果たしたメンバーの一員となった[9]。2012-13シーズン終了後に契約満了となりザンクト・ヤコブ=パルクを去り、ドイツ復帰を希望する[10]。
ベティス
[編集]2013年7月15日、リーガBBVAのレアル・ベティスに3年契約で加入[11]。しかしペペ・メル監督の信頼を得られず、ハビ・チカやフアンフランらの後塵を拝することとなった[12]。12月にフアン・カルロス・ガリードに監督が交代して以降も守備面の不安定さを指摘されるなど、出場機会に恵まれなかった[13]。
1860ミュンヘン
[編集]2014年1月18日、2.ブンデスリーガのTSV1860ミュンヘンと1年半の契約で移籍[14]。フランクフルト時代の指揮官フリートヘルム・フンケルの存在が、5年振りに母国へ復帰する決め手となったと語っている。
VfRアーレン
[編集]2015年2月2日、2部で下位に沈むVfRアーレンとシーズン終了まで契約する[15]。しかしクラブはシーズンの結果3部へ降格となった。
スパルタ・プラハ
[編集]2015-16シーズンより、シノト・リガのACスパルタ・プラハへフリートランスファーで加入[16]。リーグ戦では7試合の出場に留まり、1シーズンでスタディオン・レトナーを後にする。
ダルムシュタット
[編集]無所属となっていた2016年11月、バイエルン時代のチームメイトであるミヒャエル・シュテークマイアーがマネージャーを務めるSVダルムシュタット98の練習に参加し、フランクフルトで共にプレーしたマルセル・ヘラーと再会[17]。翌年1月20日、トルステン・フリンクス率いる同クラブと1年半の契約を締結した[18]。2017年12月にディルク・シュスターが新監督に就任するとポジションを失い、シーズン終了後にクラブを退団した[19]。
アイヒシュテット
[編集]2018年9月4日、レギオナルリーガ・バイエルンのVfBアイヒシュテットに加入[20]。娘の誕生を契機に故郷に舞い戻った。
代表歴
[編集]2007年にはドイツU21代表の一員としてトゥーロン国際トーナメントに出場している。
タイトル
[編集]- バイエルンII
- U19ドイツ・ブンデスリーガ : 2004
- ドイツ・レギオナルリーガ南部 : 2004
- ザルツブルク
- オーストリア・ブンデスリーガ : 2006-07
- バーゼル
- スイス・スーパーリーグ : 2010-11, 2011-12, 2012-13
- スイス・カップ : 2011-12
- ウーレンカップ: 2011
脚注
[編集]- ^ a b “Spieler”. TSV 1860 München. 2014年8月30日閲覧。
- ^ “Steinhöfer nach Salzburg”. kicker (2006年6月17日). 2019年2月23日閲覧。
- ^ “Steinhöfers Plus: Die Vielseitigkeit”. kicker (2008年8月5日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Steinhöfer: Neue Rolle für den Freistoßspezialisten”. kicker (2009年4月9日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Steinhöfer ist unzufrieden”. kicker (2009年9月6日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Die Option: Dribbler Ilicevic oder Passgeber Steinhöfer”. kicker (2010年3月11日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Steinhöfer bolsters Basel ranks”. UEFA.com (2011年1月26日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “ベティス、バーゼルのドイツ人SBを獲得”. Goal.com (2013年7月16日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “自信と信念で勝利をつかんだバーゼル”. UEFA.com (2011年12月8日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “FC Basel: Markus Steinhöfer will zurück in die Bundesliga”. Goal.com (2013年6月17日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “El Betis hace oficial el fichaje de Steinhöfer”. Marca.com (2013年7月15日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Steinhöfer valora salir en enero”. Marca.com (2013年10月14日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “El alemán Markus Steinhöfer, camino del Munich 1860”. Marca.com (2014年1月17日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Steinhöfer und Funkel: Wiedersehen bei 1860”. kicker (2014年1月18日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Aalen holt Steinhöfer, Alves de Araujo und Schick”. kicker (2015年2月2日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Steinhöfer: Von Aalen zu Prag”. kicker (2015年6月17日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Steinhöfer trainiert in Darmstadt zur Probe”. kicker (2016年11月8日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Darmstadt 98 verpflichtet Steinhöfer”. Goal.com (2017年1月20日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Auch Steinhöfer verlässt Darmstadt”. kicker (2018年6月17日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “Eichstätts Coup mit Steinhöfer”. kicker (2018年9月4日). 2019年3月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- Markus Steinhöfer Profile at FC Basel Official Website
- Markus Steinhöfer Profile at Swiss Football League
- Markus Steinhöfer at eintracht-archiv.de
- Markus Steinhöfer at transfermarkt.de
- Markus Steinhöfer - fussballdaten.de
- Markus Steinhöfer - player profile Transfermarkt