marie claire
『marie claire』(マリ・クレール)は、フランスで創刊され、現在は各国語で出版されている月刊ファッション雑誌。事業としてはアシェット・フィリパッキ・メディアが保有する。
同名のファッションブランドも存在する。
歴史
[編集]- 1937年、ジャン・プルヴォストが創刊。毎週水曜日に刊行される。フランスの読者は、この週刊誌を買い求めるために街中のニュース・スタンドに押し寄せた。
- 1942年、ドイツ軍侵攻により、フランス政府はマリ・クレールを含めるほとんどの雑誌の発行を中止する。
- 1954年、月刊誌として再び刊行される。
- 1976年、ジャン・プルヴォストが引退。娘のエヴリンが発行責任者となり、ロレアルグループを吸収する。
日本語版
[編集]日本版は1982年7月から中央公論社により発売され、角川書店→アシェット婦人画報社と出版元の変更を経て、2009年7月まで発売されていた。毎月28日発売。
1980年代後半の安原顯が副編集長だった時代に、女性ファッション雑誌の枠を逸脱したハイ・カルチャー誌であったことでも知られる。ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』第1章(1984年7月号 - 1985年4月号)、ポール・セローの「コルシカ島の冒険」(1986年12月号)、レイモンド・カーヴァーの「轡」(1989年5月号)、同「使い走り」(1989年12月号)、同「でぶ」(1990年8月号)、村上春樹の「パン屋再襲撃」(1985年8月号)などを掲載した。1985年には三菱・ミラージュのCMに携わった。
2012年7月、最初の版元だった中央公論新社から再刊された[1][2]。ただし、一般向けには発売されず、読売新聞購読者向けの会員誌とされ、毎月最終木曜、数か月に一度第2木曜(10日 - 16日にあたる場合)朝刊の別冊付録として首都圏の一般購読者に配布されている。
月刊誌でないこともあって、月号は定められず、「vol.-- No.--」のように表される。再刊第1号にあたる「vol.01 No.01」号の発売日は、付属した朝刊の発売日にあたる2012年7月26日とされている。
2021年4月、読売新聞東京本社が、中央公論新社からマリ・クレール事業の移管を受け、「marie claire(マリ・クレール)」に名称を変更した。 「人々の生活に、より豊かさをもたらすメディア」を目指すとして、これまでのファッション・ビューティーのトレンドに加え、インテリアやフード、旅、クルマなど、女性の生活を彩るためのコンテンツを拡充。海外の最新トレンド情報を充実させ、デザインも一新した。
ウェブサイトも刷新し、2021年6月に「marie claire digital」を開設した。本誌記事のほか、海外版の翻訳記事やウェブ独自の記事コンテンツを掲載。インスタグラムなどのSNSも活用し、すべての女性にmarie claire の世界観とそのコンテンツを届けるメディアになるとしている。
- 出版社・タイトルの変遷
- 1982年7月 - 1999年7月 - 『マリ・クレール・ジャポン』 / 中央公論社=当時
- 1999年6月 - 2003年5月 - 『マリ・クレール Japon』 / 角川書店
- 2003年6月 - 2009年7月 - 『マリ・クレール』 / アシェット婦人画報社=当時
- 2012年7月以降 - 『marie claire style』 / 中央公論新社(読売新聞購読特典)
- 2021年4月以降 - 『marie claire』 / 読売新聞東京本社
外国語版
[編集]現在、以下の国・地域で刊行されている。
携わった著名人
[編集]- 吉本ばなな(作家、『TUGUMI』を連載)
- 村上春樹(作家、翻訳と小説を掲載)
- 黒田夏子(作家、元校正者)
- 上田義彦(写真家)
- 安原顯(元副編集長)
- 池田稔(元編集長)
- 生駒芳子(元編集長)
- 東浦真弓(元編集長)
出典
[編集]- ^ 2012年2月9日付読売新聞朝刊33ページ記事「マリ・クレール7月に復刊」、2012年2月9日閲覧
- ^ “「マリ・クレール」復刊、読売購読者に配布”. 読売新聞公式サイト「ヨミウリ・オンライン」2012年2月9日付. 2012年2月9日閲覧。