シュグ・ナイト
シュグ・ナイト | |
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シュグ・ナイト(2007年6月) | |
基本情報 | |
出生名 | マリオン・ヒュー・ナイト・ジュニア |
生誕 | 1965年4月19日(59歳) |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州コンプトン |
学歴 |
エルカミノカレッジ ネバダ大学ラスベガス校 |
活動期間 |
1987-1996 2001-2005 |
レーベル |
デス・ロウ・レコード Black Kapital Records |
共同作業者 | ドクター・ドレー |
シュグ・ナイト[1](Suge Knight、Marion "Suge" Knight、1965年4月19日 - )はアメリカの実業家、レコードプロデューサー。ヒップホップレーベル「デス・ロウ・レコード」の設立者であり元CEO。
経歴
[編集]カリフォルニア州コンプトン出身。 1991年、ドクター・ドレーと共にデス・ロウを設立。デス・ロウからは2パック、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ等世界的ラッパーを輩出している。 ストリートギャングのブラッズのアソシエイト(関係者)で、敵対レーベルへの暴行、2パックやノトーリアス・B.I.G.の殺害事件への関与等、黒い噂は絶えない。ショーン・コムズを中心としたバッド・ボーイ・エンターテインメントと敵対関係にあった。1996年9月7日、マイク・タイソンの試合観戦後、何者かに銃撃され同行していた2パックは死亡、シュグ・ナイトも怪我を負った。2005年8月28日にはマイアミのナイトクラブで銃撃された。 2006年4月4日には、レーベルの所有権を含む資産保護のために破産保護申請を行った。 2014年、クリス・ブラウン主催のパーティーで銃撃され瀕死の重体となるが後に生還[2]。
2015年1月29日、カリフォルニア州コンプトンでの映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』の撮影現場にてアドバイザーを務めていたクレ・スローンと、ヘビーウェイトレコード設立者のテリー・カーターが乗った車に追突し、カーターが死亡[3]。シュグ・ナイトはひき逃げ死亡事故の重要参考人としてとなり[4]その後、殺人容疑で逮捕。ひき逃げ、殺人、殺人未遂容疑で起訴された[5]。
2018年10月4日、ロサンゼルスの裁判所で禁固28年の実刑判決を受けた[6][7][8]。
逸話
[編集]- 1992年当時N.W.A.でメインプロデューサーを務めるも金銭トラブルでイージー・Eと対立していたドクター・ドレーからレーベル脱退への協力を依頼されたシュグ・ナイトは、鉄パイプや金属バットをもった集団を引き連れてイージー・Eと交渉し、脅迫まがいな形で契約を解除させた。
- ヴァニラ・アイスのヒット曲「Ice Ice Baby」の権利は力ずくでシュグ・ナイトに奪われたとも言われている。
脚注
[編集]- ^ 通称である「シュグ」はシュガー (Sugar) からとっているため、「スージ」などとは発音しない。
- ^ 「米ヒップホップ界の大物S・ナイト、LAのクラブで撃たれる」『Reuters』2014年8月25日。2024年8月7日閲覧。
- ^ “ギャングスタラップをメインストリームへ ヒップホップ界の大物シュグ・ナイトの伝記映画製作 : 映画ニュース”. 映画.com. 2024年8月7日閲覧。
- ^ “米ヒップホップ界の大物シュグ・ナイト、ひき逃げの「重要参考人」に”. www.afpbb.com (2015年1月30日). 2024年8月7日閲覧。
- ^ “シュグ・ナイト、殺人・ひき逃げ容疑の公判が7月に開始 | Daily News”. Billboard JAPAN. 2024年8月7日閲覧。
- ^ “シュグ・ナイト、2015年のひき逃げ死傷事件で28年の実刑判決 | Daily News”. Billboard JAPAN. 2024年8月7日閲覧。
- ^ “死亡ひき逃げ事件を起こした米ヒップホップ界の大物、「不抗争の答弁」で刑務所行きを選択 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)”. Rolling Stone Japan (2018年9月21日). 2024年8月7日閲覧。
- ^ “Death Row Records の創設者シュグ・ナイトが28年の禁固刑を言い渡される”. Hypebeast.JP (2018年9月25日). 2024年8月7日閲覧。
参考文献
[編集]- ソーレン・ベイカー『ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』塚田桂子訳・解説、DU BOOKS、2019年9月。