タンジャ・ママドゥ
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(ママドゥから転送)
タンジャ・ママドゥ Tandja Mamadou | |
タンジャ・ママドゥ
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任期 | 1999年12月22日 – 2010年2月18日 |
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西アフリカ諸国経済共同体
第23代 議長 | |
任期 | 2005年 – 2007年 |
出生 | 1938年 フランス領西アフリカ、 ディファ州メーヌ・ソロア県 |
死去 | 2020年11月24日(82歳没) ニジェール、ニアメ |
政党 | 社会発展国民運動 |
タンジャ・ママドゥ(Tandja Mamadou, 1938年 - 2020年11月24日)は、ニジェールの政治家。退役陸軍中佐。第5代大統領、内相、駐ナイジェリア特命全権大使を歴任したほか、軍の幹部も務めた。少数民族カヌリ人出身。ママドゥ・タンジャとも。
生涯
[編集]1950年代半ばにニジェール軍入隊、マリ共和国やマダガスカルの軍士官学校で学ぶ。1974年のセイニ・クンチェ陸軍参謀長によるクーデターに深く関与し、1989年まで軍事政権「最高軍事評議会」の評議員。1991年に退役し、社会発展国民運動(MNSD)党首に。1993年・1996年の大統領選で落選したが、1999年11月の大統領選で当選し、12月22日から現職。大統領就任に伴い、MNSD党首の座を降りた。2004年の大統領選で再選を果たした。
2期目の大統領任期は2009年に終了する規定となっていたが、同年、新憲法が国民投票で採択されたことにより、新憲法施行までの暫定政権を率いる大統領として、2012年までの留任が決定した。また同時に、旧憲法に存在した3選禁止規定が新憲法では削除され、2012年以降の大統領職続投も可能となった。 だが、2010年2月18日に国内で軍事クーデターが発生し、身柄を拘束され失脚した[1]。その後、クーデターにより権力を掌握した軍事政権が採択した新憲法案が2010年11月の国民投票で可決され、ママドゥの企図した大統領権限を強化する新憲法は葬り去られた[2]。
出典
[編集]- ^ “ニジェールのクーデターに国際社会の非難強まる、国民はクーデターを歓迎”. AFPBB News. フランス通信社. (2010年2月20日) 2020年11月25日閲覧。
- ^ “Niger backs constitution to end junta rule”. BBC News. BBC. (2010年11月3日) 2020年11月25日閲覧。
- ^ “L'ancien président du Niger Mamadou Tandja est décédé”. France 24. (2020年11月24日) 2020年11月25日閲覧。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 ダオダ・マラム・ワンケ (国家和解評議会議長) |
ニジェール共和国大統領 第5代:1999 - 2010 |
次代 サル・ジボ (民主主義復興最高評議会議長) |
外交職 | ||
先代 ジョン・アジェクム・クフォー |
西アフリカ諸国経済共同体議長 第23代:2005 - 2007 |
次代 ブレーズ・コンパオレ |