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マッシャーブルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マッシャブルムから転送)
マッシャーブルム
マッシャーブルム
標高 7,821 m
所在地 パキスタンの旗 パキスタン
ギルギット・バルティスタン
位置 北緯35度38分33秒 東経76度18分39秒 / 北緯35.64250度 東経76.31083度 / 35.64250; 76.31083座標: 北緯35度38分33秒 東経76度18分39秒 / 北緯35.64250度 東経76.31083度 / 35.64250; 76.31083
山系 カラコルム山脈
初登頂 1960年
マッシャーブルムの位置(パキスタン内)
マッシャーブルム
マッシャーブルム
マッシャーブルムの位置(アジア内)
マッシャーブルム
マッシャーブルム
プロジェクト 山
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マッシャーブルム(Masherbrum)は、パキスタン。1800年代半ばに行われたインド測量局による測量では「K1」の測量番号が与えられた。カラコルム山脈のマッシャーブルム山群に属し、標高は7,821 mと世界22位、パキスタン国内では11位の高さである。

名称の由来は明らかではない。二つある山頂を前装式の古い銃に見立ててmashadar(前装銃)とbrum(山)の合成とする説のほか、masha(貴婦人)とbrumの合成とする説などがあるが確たることは不明である。

位置

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カラコルム山脈中心部を流れ、同山脈の8000メートル級の峰々への登頂ルートやトレッキングコースとして広く用いられるバルトロ氷河の南部に位置する。南にはフーシェ谷があり、同じくマッシャーブルム登頂のルートにもされる。

歴史

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マッシャーブルムの存在をヨーロッパ人が初めて認識したのは1856年の事である。イギリス陸軍工兵隊のトーマス・ジョージ・モントゴメリーがカラコルム山脈を測量した際に高峰に気づき、カラコルムの1号峰としてK1と名付けた。しかし現地住民にはマッシャーブルムとして知られており、現代でもこの名が使われている。

1911年になるとワークマン夫妻によって踏査され、さらに1938年には南からのルートで登頂が試みられた。しかしこの際は山頂を目前にして失敗している。その後1955年と1957年の登頂失敗を経て、1960年にクリンチを隊長とするアメリカパキスタン合同隊のベルとアンソールドにより、過去何度も登山者を退けた南東壁を通るルートでの登頂が達成された。

1983年、須藤建志隊長ら5名からなる京都岳人クラブ隊が南面から挑み、乃村昌宏・南裏健康の両隊員が登頂。アメリカ隊の初登頂以来23年ぶりとなる世界第二登、アルパインスタイルでの登頂は初めてだった[1]

現在では北西壁ルートと北西稜・北壁ルートによる登頂も報告されている。

脚注

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  1. ^ 岩と雪 (山と渓谷社) (99). 

参考文献

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  • H. Adams Carter, "Balti Place Names in the Karakoram", American Alpine Journal 49 (1975), p. 53.
  • Jill Neate, High Asia: An Illustrated History of the 7000 Metre Peaks, ISBN 0-89886-238-8
  • Himalayan Index

外部リンク

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