ニジニ・ノヴゴロドの定期市
ニジニ・ノヴゴロドの定期市 | |
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ロシア語: Нижегородская ярмарка | |
メインフェアパレス | |
座標 | 北緯56度19分42秒 東経43度57分39秒 / 北緯56.32833度 東経43.96083度座標: 北緯56度19分42秒 東経43度57分39秒 / 北緯56.32833度 東経43.96083度 |
所在地 | ニジニ・ノヴゴロド ロシア |
設計者 | アグスティン・デ・ベタンクル |
種類 | 宮殿 |
高さ | 3.5メートル |
建設開始 | 1817 |
完成 | 1822 |
開場 | 1822 |
ニジニ・ノヴゴロドの定期市(ロシア語: Нижегородская ярмарка)は、中世から19世紀にかけてロシアに存在した市場。ロシア内外の商品を扱う交易地として栄え、当時のロシア最大の定期市であった。
概要
[編集]1641年、ジェルトヴォツキー・マカリエフ修道院の修道士たちが特許状によって市を建設し、この町はマカリエフと呼ばれた[1]。ヴォルガ川の水運にめぐまれて発展し、毎年7月の3週間にわたって市が開催された。敷地は2リーグ平方におよび、交易用の店舗の他に居酒屋、コーヒーハウス、劇場、ダンス場などの木舎も建設された。商品にはシベリアの毛皮、ロシアの金属製品、中国の茶、リヨンやアジアの絹、ブハラやヨーロッパの宝石、フランスやギリシャのワイン、ボヘミアのガラス製品、ヨーロッパの家具、フランスの小間物、ヴォルガ川のチョウザメなどが取引された。内外から多数の人々が集まり、ロシア人、タタール人、ポーランド人、グルジア人、アルメニア人、ブハラ人、ペルシア人、中国人、インド人、フランス人、イギリス人などがいた。
1751年まで、取引に課せられる税は修道士によって徴収されていた。1816年の大火災によってマカリエフは焼失し、定期市は上流のニジニ・ノヴゴロドへ移された。ニジニ・ノヴゴロド定期市はオーギュスト・モンフェランにより建築され、店舗は2500以上入るように設計された。再開後は6週間にわたって開催され、当初の規制を超えて店舗数は6000以上となり、取引額は1874年時点の価値で1億6000万ルーブルを超えたという[2]。
関連する人物
[編集]小説家ジュール・ヴェルヌの作品『皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ』には、マカリエフの定期市やニジニ・ノヴゴロドの定期市が登場する。
出典
[編集]- ^ ウォルフォード 1984, p. 284.
- ^ ウォルフォード 1984, p. 300.
参考文献
[編集]- コーネリアス・ウォルフォード 著、中村勝 訳『市の社会史』そしえて、1984年12月、284頁。ISBN 978-4-88-169750-4。