マイ・フレンド・フォーエバー
マイ・フレンド・フォーエバー | |
---|---|
The Cure | |
監督 | ピーター・ホルトン |
脚本 | ロバート・クーン |
製作 |
マーク・バーグ エリック・アイスナー |
製作総指揮 |
トッド・ベーカー ビル・ボーデン |
出演者 |
ブラッド・レンフロ ジョゼフ・マゼロ アナベラ・シオラ ダイアナ・スカーウィッド ブルース・デイビソン |
音楽 | デイヴ・グルーシン |
撮影 | アンドリュー・ディンテンファズ |
編集 | アンソニー・シェリン |
製作会社 | アイランド・ピクチャーズ |
配給 |
ユニバーサル・ピクチャーズ 松竹富士=KUZUI |
公開 |
1995年4月21日 1995年8月12日 |
上映時間 | 97分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
興行収入 | $2,568,425[1] |
マイ・フレンド・フォーエバー(原題:The Cure)は、1995年のアメリカ合衆国のドラマ映画。二人の少年の深い友情を描くヒューマンドラマである。
日本公開時、『マイ・ライフ』『マイ・ルーム』『マイ・フレンド・メモリー』の「マイ~」シリーズの一部として『マイ・フレンド・フォーエバー』とタイトルが付いた[要出典]。なお、全て別の映画であり、ストーリーの関連性はない。
ストーリー
[編集]エリックの家の近くに、ある少年が引っ越してきた。彼の名はデクスターといい、HIVに感染していた。初めは彼を警戒するエリックであったが、次第に打ち解けあい、友情を深め合う。
雑草を煎じて飲ませ、エイズに有効な特効薬を探すも、失敗する。
ある日、エリックとデクスターはニューオーリンズで「エイズの特効薬が見つかった」というゴシップ雑誌を目にし、ニューオーリンズへ繋がっているという川を下る旅に出る。
途中、ポニーとジミーの舟に金を支払って同乗させてもらい、ニューオーリンズへ向かうが、その舟はもともとニューオーリンズへ帰る舟であった。薬の残りも少なく、なかなか向かおうとしない連中に怒ったエリックは、300ドルをくすねて、バスでニューオーリンズへ向かうことにした。しかし、ポニーとジミーは駅で2人を探しており、エリックはナイフで応戦しようとするも、ポニーはさらに大きいバタフライナイフを取り出す。
デクスターはエリックのナイフを奪い、自分の手を切って「僕の血は猛毒だ」と脅しをかけ、2人を撃退する。
デクスターの体調と気持ちを悟ったエリックは、ニューオーリンズへ向かうことをやめ、家に帰ることにする。
旅の途中でデクスターは体調を崩し入院生活するも、死亡してしまう。
告別式の際、エリックは自分の靴とデクスターの靴を交換し、その靴をニューオーリンズへ繋がっているという川へ流す。
キャスト
[編集]役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||
---|---|---|---|---|
ソフト版 | フジテレビ版 | |||
エリック | ブラッド・レンフロ | 滝沢秀明 | 藤田大助 | |
デクスター | ジョゼフ・マゼロ | 今井翼 | 折笠愛 | |
リンダ(デクスターの母) | アナベラ・シオラ | 弥永和子 | 塩田朋子 | |
ゲイル(エリックの母) | ダイアナ・スカーウィッド | 吉田理保子 | 弥永和子 | |
スティーヴンス医師 | ブルース・デイヴィソン | 納谷六朗 | 大塚芳忠 | |
演出 | 蕨南勝之 | 松川陸 | ||
翻訳 | 伊原奈津子 | 松崎広幸 | ||
録音・調整 | 下裕康 新井保雄 |
飯村靖雄 | ||
担当 | 小笠原恵美子 保原賢一郎 | |||
制作 | プロセンスタジオ | グロービジョン | ||
初回放送 | 1998年12月19日 『ゴールデン洋画劇場』 |
スタッフ
[編集]- 監督:ピーター・ホルトン
- 製作総指揮:トッド・ベーカー、ビル・ボーデン
- 製作:マーク・バーグ、エリック・アイスナー
- 脚本:ロバート・クーン
- 撮影:アンドリュー・ディンテンファズ
- 編集:アンソニー・シェリン
- 音楽:デイヴ・グルーシン
参考文献
[編集]- ^ “The Cure (1995)” (英語). Box Office Mojo. 2014年2月19日閲覧。