コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

マイク・ブレイベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイク・ブラベルから転送)
マイク・ブレイベル
Mike Vrabel
refer to caption
テネシー・タイタンズでのブレイベル
(2022年)
基本情報
ポジション ラインバッカー
生年月日 (1975-08-14) 1975年8月14日(49歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オハイオ州アクロン
身長: 6' 4" =約193cm
体重: 261 lb =約118.4kg
経歴
大学 オハイオ州立大学
NFLドラフト 1997年 / 3巡目全体91位
初出場年 1997年
初出場チーム ピッツバーグ・スティーラーズ
所属歴
選手歴
1997-2000 ピッツバーグ・スティーラーズ
2001-2008 ニューイングランド・ペイトリオッツ
2009-2010 カンザスシティ・チーフス
コーチ歴
2011-2013 オハイオ州立大学(LBC・DLC)
2014-2017 ヒューストン・テキサンズ(DC)
2018-2023 テネシー・タイタンズ(HC)
受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(3回)
2001(第36回)2003(第38回)2004(第39回)
オールプロ選出(1回)
2007
プロボウル選出(1回)
2007
その他受賞・記録
ニューイングランド・ペイトリオッツ50周年記念チーム
NFL 通算成績
タックル 740
サック 57
インターセプト 11
ファンブル 19
Player stats at NFL.com
ヘッドコーチとしての通算成績
レギュラーシーズン 54–45 (.545)
ポストシーズン 2–3 (.400)
通算成績 56–48 (.538)
Player stats at PFR
Coaching stats at PFR

マイケル・ジョージ・ブレイベルMichael George Vrabel1975年8月14日 - )はアメリカ合衆国オハイオ州アクロン出身のアメリカンフットボール元選手、指導者。ポジションはラインバッカー(LB)。現役時代、ピッツバーグ・スティーラーズニューイングランド・ペイトリオッツカンザスシティ・チーフスに在籍し、ペイトリオッツでは3度のスーパーボウル制覇を果たしている。引退後はコーチ業を務め、2018年シーズンより2023年シーズンまでテネシー・タイタンズヘッドコーチを務めた。

経歴

[編集]

プロ入りまで

[編集]

オハイオ州アクロンで生まれた彼はカヤホガフォールズ近郊の高校に進学、その後オハイオ州立大学に進学した。1993年から1996年までディフェンシブエンドとしてプレーした彼は2年次に12サック、3年次に13サック、4年次に9サックをあげた。3年次、4年次にそれぞれビッグ・テン・カンファレンスの最優秀守備選手に選ばれた。同カンファレンスの最優秀守備選手に2回選ばれたのは他にウェンデル・ブライアントだけである。4年次にはオールアメリカンにも選ばれている。

2000年に大学フットボールチームの20世紀のオールチームに選ばれた。2012年にはオハイオ州立大学のスポーツ殿堂入りを果たした[1]。 .

ピッツバーグ・スティーラーズ

[編集]

1997年のドラフト3巡でピッツバーグ・スティーラーズに指名されて入団した。1年目のディビジョナルプレーオフではドリュー・ブレッドソーをサックし、7-6の勝利に貢献した。スティーラーズには4シーズン所属した。

ニューイングランド・ペイトリオッツ

[編集]

フリーエージェントとなった彼は2001年にニューイングランド・ペイトリオッツに加入した。この年先発12試合を含む全16試合に出場したが、ビル・ベリチックヘッドコーチは彼にタイトエンドをマークさせた。第38回スーパーボウルで彼は2サック、1ファンブルフォースの他、トム・ブレイディから1ヤードのTDパスを受けた。守備選手がオフェンスプレーでタッチダウンをあげたのは、第20回スーパーボウルウィリアム・ペリー以来であった。第39回スーパーボウルでも2ヤードのTDパスを受けた。なお彼は通算成績で14回パスターゲットになり、そのうち10回レシーブを記録、いずれもタッチダウンプレーである。

2005年12月26日のマンデーナイトフットボールでは2タッチダウン、1サックをあげた。

2007年の第8週のワシントン・レッドスキンズ戦では3ファンブルフォース、3サック及びオンサイドキックのリカバー、オフェンスでのタッチダウンをあげてAFCの週間最優秀守備選手に選ばれた。その年12月、彼は初めてプロボウルに選ばれた。翌年1月にはオールプロにも選ばれた。

3-4ディフェンスのペイトリオッツに加入して最初の4年間は右アウトサイドラインバッカーであったが、2005年に選手層の薄いインサイドラインバッカーにコンバートされた。テディ・ブルースキが怪我から復帰した後は、コンビを組んだ。その後アウトサイドラインバッカーに復帰したが、2006年シーズン終盤にジュニア・セアウが腕を骨折したため、再度インサイドラインバッカーとなった。

カンザスシティ・チーフス

[編集]

2009年2月末、マット・キャセルとともにドラフト2巡指名権とのトレードでカンザスシティ・チーフスに移籍した。

指導者として

[編集]

2011年7月10日、現役を引退し、母校オハイオ州立大学のラインバッカーコーチに就任した。同年12月21日、アーバン・メイヤーが新ヘッドコーチに就任した際も留任した。

2014年1月10日、ヒューストン・テキサンズのラインバッカーコーチに就任した。彼の就任後テキサンズの守備は躍進し、2016年1月、サンフランシスコ・49ersの守備コーディネーター候補に名前があがったが彼はその話を断りチームに残留した。2017年1月、ロメオ・クレネルがテキサンズのアシスタントヘッドコーチに昇格する際、後任の守備コーディネーターに昇格した。

2018年1月20日、テネシー・タイタンズのヘッドコーチに就任した。第2週のテキサンズ戦でプロ初勝利をあげた。第4週には前年のスーパーボウルチャンピオンのフィラデルフィア・イーグルスを破った。第10週にはビル・ベリチックのニューイングランド・ペイトリオッツを破った。チームディフェンスは前年より13位成績が向上し、NFL8位となった。チームは9勝7敗で惜しくもプレーオフを逃した。

2019年は第6週のデンバー・ブロンコス戦で完封負けした後、マーカス・マリオタからライアン・タネヒルに先発QBを変更した。チームは開幕から6試合で2勝4敗と苦しんだが9勝7敗でプレーオフに第6シードで進出した。ワイルドカードプレーオフでは前年のスーパーボウルチャンピオン、ニューイングランド・ペイトリオッツを20-13で破った。この試合ではデリック・ヘンリーが204ヤードを走った。ディビジョナルプレーオフでもヘンリーの活躍などで第1シードのボルチモア・レイブンズを28-12で破ったが、AFCチャンピオンシップゲームではカンザスシティ・チーフスに24-35で破れスーパーボウル出場は果たせなかった。2021年シーズン、AP通信からコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

2022年はライアン・タネヒルが故障した後、チームは失速しプレーオフを逃した。2023年も6勝11敗でプレーオフを逃し、2024年1月9日、タイタンズから解雇された。





脚注

[編集]
  1. ^ Bill Livingston (2012年9月21日). “For Ohio State's John Simon, every week is a big game: Bill Livingston”. 2024年1月24日閲覧。

外部リンク

[編集]