ポー・カレン族
ポー・カレン族(ポー・カレンぞく、Pwo Karen people)は、カレン族のサブグループである。ミャンマーおよびタイを中心に居住する。自称はプロン(Plone、東部ポー・カレン語: Phlong:、西部ポー・カレン語: Phlong)[1]。1993年時点でのカレン族の人口は286万人であり、その半数近くがポー・カレン族である可能性が高い[2]。
民族と言語
[編集]ポー・カレン語(東部ポー・カレン語および西部ポー・カレン語)を用いる[3]。東部ポー・カレン語はカレン州・モン州・タニンダーリ地方域で用いられ、カレン州都であるパアンの主要言語でもある。一方の西部ポー・カレン語は、エーヤワディ・デルタで用いられる[4]。両ポー・カレン語は方言レベルで類似しているものの、声調の差異などのため、相互理解可能性は薄い[3]。さらに、これらの言語とも相互理解性可能性を欠く言語として、モン州ビリン郡区で用いられるトークリバン・ポー・カレン語(Htoklibang Pwo Karen)および北部ポー・カレン語が報告されている[5]。
ポー・カレン語の主要な表記法としては、仏教ポー・カレン文字とキリスト教ポー・カレン文字が知られている。前者はおそらくはモン文字から自然発生したものであり、加藤昌彦は発音と表記の対応からして、18世紀から19世紀にかけてつくられたものであろうと推測している。後者は、宣教師のジョナサン・ウェイド(Jonathan Wade)が東部ポー・カレン語訳聖書を翻訳する際に制作した表記体系である。東西ポー・カレン語間には規則的な音韻対応があるため、西部ポー・カレン語話者も東部ポーカレン語聖書を用いている[3]。
ミャンマーにおいては、ポー・カレン族とスゴー・カレン族の2グループにより、カレン族が構成されると考えられることが多い[2][5]。池田一人は、「多様な偏差を含んでまとまりのなかった」カレン諸語のなかで、ポー・カレン語とスゴー・カレン語の正書法がいちはやく確立されたことが、「カレンという民族を構成すべき2大要素としてスゴーとポーという下位語族があるという観念」を構築していったと論じている[6]。また、加藤は、数あるカレン諸語のなかでもポー・スゴーの両語は言語学的にとりわけ近い関係にあり、この2つの言語を中心として「カレン族」の概念が確立されていったことは妥当であるとも述べている[3]。
文化
[編集]宗教
[編集]カレン族の仏教徒にはスゴー・カレン族もいるものの、ポー・カレン族の存在感が大きい。カレン州の平野部は仏教徒であるモン族との関わりも深く、19世紀中葉に仏教ポー・カレン文字で書かれた貝葉が残されている[7]。カレン仏教の中心地はパアン地方であり[8]、パガン王朝時代にタトンでモンの王に仕えていたというプーダイコーなる人物が、大蔵経をポー・カレン語に略したとされている。また、仏教の定着については、18世紀のポー・カレン族僧侶であるプー・タマイッ(Phu Ta Maik)の尽力によるものであるとされるが、いずえも伝説に近いものであり、正確なところは不明である[9]。また、同人物は仏教ポー・カレン文字の発明者であるとも考えられている[8]。キリスト教の布教は19世紀にはじまり、1852年にポー・カレン語の聖書が刊行されている[6]。
ドン・ダンス
[編集]ポー・カレンの文化としては、ドン・ダンス(Don dance)がある。男女が隊列を組んで踊る民族舞踊であり[10]、コミュニティの連帯を深める方法として発展していった[11]。この舞踊はカレン族全体の文化的象徴ともみなされるようになり、スゴー・カレン族の踊り手も現れるようになっている[12]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 池田一人「ビルマ植民地期末期における仏教徒カレンの歴史叙述 : 『カイン王統史』と『クゥイン御年代記』の主張と論理」『東洋文化研究所紀要』第156巻、2009年12月14日、359–430頁、doi:10.15083/00026923。
- 伊東利勝 編『ミャンマー概説』めこん、2011年。ISBN 9784839602406。
- Kato, Atsuhiko (2019). “Pwo Karen”. In Vittrant, Alice; Watkins, Justin. The Mainland Southeast Asia Linguistic Area. De Gruyter. pp. 131-175. doi:10.1515/9783110401981. ISBN 978-3-11-040198-1
- 加藤昌彦「貝葉が伝える仏教ポー・カレン文字」『ACCU news』第344巻、2004年、2-4頁。
- 加藤昌彦『東部ポー・カレン語入門』大阪大学外国語学部授業テキスト、2022年 。