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ボリス・アサフィエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボリス・ヴラディミロヴィチ・
アサフィエフ
モスクワのノヴォデヴィチ墓地にある墓
基本情報
出生名 Борис Владимирович Асафьев
生誕 (1884-07-29) 1884年7月29日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 サンクトペテルブルク
死没 (1949-01-27) 1949年1月27日(64歳没) ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 モスクワ
学歴 ペテルブルク音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

ボリス・ヴラディミロヴィチ・アサフィエフロシア語: Бори́с Влади́мирович Аса́фьев, ラテン文字転写: Boris Vladimirovich Asafiev1884年7月29日(ユリウス暦7月17日)サンクトペテルブルク - 1949年1月27日モスクワ)は、ロシア作曲家。バレエ音楽家としては、ロプホーフ、イワーノフ、ワイノーネン、ザハーロフらの演出、振付に協力した。また、ソ連時代の音楽評論家としての活動や、プロコフィエフとの親交によっても名を残している。筆名はイーゴリ・ヴラジミロヴィチ・グレーボフИгорь Владимирович Глебов)。ソビエト連邦国民芸術家。ソビエト連邦科学アカデミー正会員。ソビエト連邦作曲家同盟議長[1]

生涯

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サンクトペテルブルクにある記念プレート(1933年から1943年までこの家に居住)
生い立ち

1884年、サンクトペテルブルクの公務員の家庭に生まれた。子供のころから音楽を学び、1903年にギムナジウムを卒業。1904年から1910年にかけてペテルブルク音楽院ニコライ・リムスキー=コルサコフアナトーリ・リャードフに師事。音楽院ではプロコフィエフミャスコフスキーと知り合い、以降長きにわたり付き合うことになった。音楽院に在籍すると同時に、サンクトペテルブルク大学歴史文学部で学び、1908年に卒業。

芸術家として

1910年にマリインスキー劇場バレエ部門のコレペティトールに就任し、1921年より国立芸術史協会音楽部門を監督した。1925年レニングラード音楽院音楽学部を創設。1943年モスクワ芸術史研究所を創設した。

作曲家としてのアサフィエフは、11のオペラと、28のバレエ音楽のほかに、5つの交響曲と2つのカンタータ、多数の歌曲を作曲した。

音楽学者としては、1914年雑誌「音楽」誌上で評論活動を開始した[1]。『経過としての音楽形式』『19世紀初頭以降のロシア音楽』(日本語題『ロシヤの音楽』)『グリンカ』『ストラヴィンスキー』を上梓している。

作曲作品

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歌劇
バレエ音楽
  • 白百合(詩人の夢), 1910年 - 1914年
  • 妖精の贈り物, 1910年
  • 謝肉祭の王, 1914年
  • 氷の乙女(ソルヴェイグ), 1918年
  • カルマニョーラ, 1918年
  • パリの炎, 1932年:フランス革命が題材。代表作
  • バフチサライの泉, 1933年 / 34年:代表作
  • 救いのない幻想, 1934年
  • パルチザン, 1935年
  • コーカサスの虜, 1936年‐プーシキンの「コーカサスの虜」を基とする
  • クリスマスの夜, 1937年-ゴーゴリディカーニカ近郷夜話第5編「降誕祭の前夜」を基とする
  • 美しきラッダ, 1937年
  • イワン・ボロトニコフ, 1938年
  • ステンカ・ラージン, 1939年
  • アシク・ケリブ, 1939年 / 40年
  • (バレエダンサーの肖像 - バレエ組曲, 1940年)
  • シュラミス, 1940年 / 41年
  • 雪片, 1941年
  • ヌリン大公, 1941年 - 1943年
  • 死の墓堀人, 1943年
  • 石の客, 1943年‐プーシキン小悲劇第3編「石の客」を基とする
  • ラダ, 1943年
  • フランチェスカ・ダ・リミニ, 1943年
  • 農民に扮した姫君, 1945年‐プーシキンベールキン物語第5編「百姓令嬢」を基とする
  • 春のおとぎ話, 1946年
  • 家族, 1947年
  • ミリツァ, 1942年 - 47年
交響曲・協奏的作品
  • 5つの交響曲
  • クラリネット協奏曲, 1939年
  • ギター協奏曲, 1939年
  • ピアノ協奏曲, 1939年
室内楽曲
  • 弦楽四重奏曲, 1940年
  • 独奏ヴィオラのためのソナタ, 1938年
  • チェロと ピアノのためのソナタ, 1935年
  • トランペットとピアノのためのソナタ, 1939年
  • オーボエとピアノのためのソナチネ, 1939年
  • ホルンとピアノのための変奏曲, 1940年

著作

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  • 『音楽教育論選集』(1965年)
日本語訳のある著作
  • 『ロシヤの音楽』上下2巻(樹下節訳/音楽之友社、1954年)

脚注

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  1. ^ a b 『ロシヤの音楽』上巻あとがき(樹下節訳/音楽之友社、1954年)