ホテルエンパイア
ホテルエンパイア | |
---|---|
ホテル概要 | |
正式名称 | ホテルエンパイア |
設計 | 大林組[1] |
運営 | 日本ドリーム観光 |
所有者 | 日本ドリーム観光 |
階数 | 地下2 - 21[2]階 |
部屋数 | 66[2]室 |
延床面積 | 8,193[2] m² |
最頂部 | 93 m[1] |
開業 | 1965年(昭和40年)3月28日 |
閉業 | 1995年(平成7年) |
最寄駅 | 六会駅 |
最寄IC | 横浜新道戸塚終点 |
所在地 | |
位置 | 北緯35度22分56.5秒 東経139度29分43.0秒 / 北緯35.382361度 東経139.495278度座標: 北緯35度22分56.5秒 東経139度29分43.0秒 / 北緯35.382361度 東経139.495278度 |
ホテルエンパイア(英称:Hotel Empire)は、かつて神奈川県横浜市戸塚区で日本ドリーム観光が経営した日本のホテル。現在建物は横浜薬科大学の図書館棟として使われている。
概要
[編集]遊園地の横浜ドリームランドに併設される形で1965年(昭和40年)3月28日に開業し、ちょうど30年後の1995年(平成7年:月日不明)に閉鎖された。
1965年(昭和40年)5月15日に、外貨両替業務の取扱いを開始し[3]、1981年(昭和56年)12月25日に、国際観光ホテルとなった[4]。
開業当初は周辺にホテルが少なかったため、松竹大船撮影所の全盛期に、俳優が本ホテルに泊まり込んだという逸話もある。1968年(昭和43年)当時の宿泊料金は一人あたり4,000円 - 10,000円(ツインルーム)で[2]、隣接するホテルドリームランドが一人あたり700円 - 1,500円(同)だったことから、本ホテルを高く位置づけていたことがわかる。
建築物として
[編集]当初は「ホテルドリーム」の仮称で計画され[5]、大林組により1964年4月に着工し1965年3月に竣工した[1]。霞が関ビルディングに先駆けて建設省の高層建築物構造審査会の審査に合格した日本初の超高層ビルとして10億450万円の建設費を投じ、完成当時は地下2階地上21階、高さは建物部の軒高が77.7m、尖塔と避雷針を含めて93mであり[1]、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。
1階はフロントとバーラウンジ、2階から18階は安土桃山様式と現代様式を組み合わせた和風調の内装を施した客室、上層階は飲食・宴会施設として用いられ19階に宴会場、20階に食堂、最上階の21階は回転レストランとして使用され1周1時間の速度で回転された[2]。21階という階数は「21世紀を象徴したものとしたい」との構想に基づいたもので[1]、内装について“桃山時代の文化の復元”を標榜したのは、「日本にしかない、日本でしかできないホテルを目指すべき」という意図による。
外観は五重塔の優雅なスタイルを模した形状で最上階には飾塔、各階には金色の外壁や朱色の欄干と屋根の軒先の四隅には灯籠を吊り下げた[5]。高台の上に建っており近くに高い建物や大きな山が存在しないことから、多少離れた場所からでも目立つ建造物で、周辺が田畑ばかりだった完成当初は、ひときわ異彩を放つ存在であった。その後開発によって周辺の宅地化が進んでもホテルエンパイアは視界からさえぎられることはなく、横浜ドリームランドの観覧車とともに周辺一帯(戸塚区南西部および藤沢市北部)のランドマークとして長年親しまれた。
-
営業していた当時のホテルエンパイア(中央やや左奥)。1990年1月撮影。
-
現在国立病院機構横浜医療センターがある場所から見た、当時のホテルエンパイア
ホテル廃業後
[編集]横浜薬科大学 図書館棟 | |
---|---|
情報 | |
旧名称 | ホテルエンパイア |
用途 | 図書館・事務室 |
旧用途 | ホテル・レストラン |
施工 | 大林組 |
建築主 | 日本ドリーム観光株式会社 |
管理運営 | 日本ドリーム観光株式会社 → 雅叙園観光株式会社 → (?) → ドリーム開発株式会社 → 株式会社ユー・エス・エス → 横浜市 → 学校法人都築学園 |
階数 | 地上21階、地下2階 |
高さ | 68m |
竣工 | 1965年3月 |
開館開所 | 1965年3月28日 |
改築 | 2005年 |
所在地 |
〒245-0066 神奈川県横浜市戸塚区俣野町601番地2 |
座標 | 北緯35度22分56.5秒 東経139度29分43秒 / 北緯35.382361度 東経139.49528度 |
1995年(平成7年)に廃業・閉鎖されてから2005年(平成17年)に至るまでの10年間は、誰も手をつけることなく、廃墟と化していた。
横浜ドリームランドが2002年(平成14年)2月17日に閉園して以降、モノレール(ドリーム開発ドリームランド線)の軌道、観覧車・潜水艦等の遊戯施設など、ドリームランドに関連する多くの施設、建造物が次々に解体撤去される中、往時を偲ぶことのできる数少ない建物の一つとなっていた。 また、閉業当時は撤去する予定であったようだが、一年という短い期間での突貫工事の影響なども有り、アスベストが大量に使用されていたため、撤去費用が膨大なものになるというもので結局解体は行われず現在に至る。
現在
[編集]その後、紆余曲折を経てドリームランド跡地を買収した都築第一学園が、2005年(平成17年)に改装工事に着手し、同学園が2006年(平成18年)に開校した横浜薬科大学の図書館棟になった(1〜8階が図書館、9〜20階は学長室・研究室など、21階は展望ラウンジとして使用[6][7][8]。この工事により、屋根先端の相輪を模した避雷針や中間階の屋根状の装飾が撤去された。外壁材も明るい色のパネルに交換されたため、五重塔のようだった外観は大きく変貌し、20階・21階の屋根だけがかつての面影を残している。
2019年、台風の影響も加わり施設の老朽化が深刻化。2021年から約1年がかりで改修工事が行われることとなった。学園総長は工事の開始の式典で「図書館棟は区のシンボル的建物」と述べている[9]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 横浜ドリームランド・ホテルエンパイア - 大林組八十年史(大林組 1972年)397-398頁
- ^ a b c d e 地域別レジャーランドの経営資料 横浜ドリームランド - 全国レジャーランドの経営実例と事業計画資料集1970年版(日本エコノミストセンター)
- ^ 同年5月11日、大蔵省告示第157号
- ^ 1982年(昭和57年)1月30日、運輸省告示第56号。登録番号:登録ホ第503号
- ^ a b カメラルポ 21階の高層ホテル誕生 93mを誇るホテルドリーム - 全建ジャーナル1965年2月号(全国建設業協会)
- ^ “図書館 横浜薬科大学 薬学部”. 2014年9月5日閲覧。
- ^ “大学の図書館になった旧ドリームランドのホテルの中ってどうなってるの?”. はまれぽ.com. (2011年9月5日)
- ^ 倉方俊輔『ドコノモン』 日経BP社、2011年、ISBN 978-4-8222-6064-4、149-153ページ
初出:「倉方俊輔の「ドコノモン100選」
“(7)昭和の夢を乗せた“桃山風”ホテル:横浜薬科大学図書館棟”. ケンプラッツ (日経BP). (2008年7月14日) - ^ “元横浜ドリームランド・「五重塔」 老朽化で修復工事”. 神奈川新聞 カナロコ (2021年5月25日). 2021年5月25日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 竣工当時の様子 - 大林組
- ホテルエンパイア - 小田原建築探偵
- ホテルエンパイア再び - 個人ブログ