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ジェルヴァース・ドゥ・ペイエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ジェルヴァース・ドゥ・ペイエ
出生名 ジェルヴァース・ドゥ・ペイエ
生誕 (1926-04-11) 1926年4月11日
出身地 イギリスの旗 イギリスロンドン
死没 (2017-02-04) 2017年2月4日(90歳没)
学歴 王立音楽大学
ジャンル クラシック
担当楽器 クラリネット
活動期間 1950年 - 2017年

ジェルヴァーズ・アラン・ドゥ・ペイエ(Gervase Alan de Peyer, 1926年4月11日 - 2017年2月4日)は、イギリスクラリネット奏者・指揮者

人物

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ロンドンに生まれ、私学ベダレス・スクールに学ぶ。

奨学金を得て王立音楽大学に進み、クラリネットをフレデリック・サーストンに、ピアノをアーサー・アレグザンダーに師事する。18歳の時、英国海軍軍楽隊に入隊するが、戦後に王立音大に復学し、それから2年ほどしてパリに留学してルイ・カユザックの薫陶を受けた[1]

1950年メロス・アンサンブルの創設メンバーに名を連ね、1974年までその一員として演奏を続けた。1955年から1972年まではロンドン交響楽団の首席クラリネット奏者であった[2]

1969年には、リンカーン・センター室内楽協会の創設メンバーとなり、20年間そこで演奏を続けた[3]

ソリストとしては、アーノルド・クック、セバスチャン・フォーブズ、アラン・ホディノットジョーゼフ・ホロヴィッツシーア・マスグレイヴエリザベス・マコンキーウィリアム・マサイアス、アドウィン・ロクスバーグらの協奏作品を初演してきた[2]。指揮者としては、イギリス室内管弦楽団やロンドン交響楽団管楽器アンサンブル、メロス・シンフォニアと共演したほか、ハイドン管弦楽団の准指揮者に任命されている。

1959年からは、王立音楽院で教鞭を執っていた[2]

2017年2月4日にこの世を去った[4]。90歳没。

脚注

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  1. ^ Brown, John Robert (December 2005). “Gervase de Peyer in his 80th Year. Part One”. The Clarinet. http://www.john-robert-brown.com/gervase-de-peyer.htm 2007年7月1日閲覧。. 
  2. ^ a b c Pamela Weston (2001). "De Peyer, Gervase". In Root, Deane L. (ed.). The New Grove Dictionary of Music and Musicians (英語). Oxford University Press. {{cite encyclopedia}}: |access-date=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明)
  3. ^ Brown, John Robert (March 2006). “Gervase de Peyer in his 80th Year. Part Two.”. The Clarinet 33 (2). http://www.john-robert-brown.com/gervase-de-peyer-2.htm 2007年7月1日閲覧。. 
  4. ^ “We’ve lost the man who gave us this utterly sublime clarinet tone”. Classic FM. Classic FM. (2017年2月5日). http://www.classicfm.com/discover-music/instruments/clarinet/features/gervase-de-peyer-dies/ 2017年2月6日閲覧。 

参考資料・外部リンク

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