コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヘンリー・エイルマー (第2代エイルマー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第2代エイルマー男爵ヘンリー・エイルマー英語: Henry Aylmer, 2nd Baron Aylmer1694年頃 – 1754年6月26日)は、イギリスの貴族。

生涯

[編集]

初代エイルマー男爵マシュー・エイルマー英語版とサラ・エリス(Sarah Ellis、1710年10月没、エドワード・エリスの娘)の息子として生まれた[1]

1720年8月18日に父が死去すると、エイルマー男爵の爵位を継承した[1]1722年イギリス総選挙で姉エリザベスの夫サー・ジョン・ノリス英語版の助力を得て、ライ選挙区英語版で当選したが、次の総選挙である1727年イギリス総選挙では出馬しなかった[2]

1727年7月から1754年に死去するまで、造幣局監査官(Comptroller of the Mint)を務めた[1]

1754年6月26日に死去、7月4日にグリニッジで埋葬された[1]。長男マシューに先立たれたため次男ヘンリーが爵位を継承した[1]

家族

[編集]

1716年6月27日、エリザベス・プリーストマン(Elizabeth Priestman、1690年頃 – 1750年1月12日、ウィリアム・プリーストマンの娘)と結婚[1]、4男を儲けた[3]

  • マシュー(1717年 – 1748年9月2日) - 子供なし
  • ヘンリー(1718年 – 1766年) - 第3代エイルマー男爵
  • フィリップ(1721年 – ?) - 早世
  • ジョン(1723年5月25日(洗礼日) – 1793年2月16日) - 1755年6月4日、エリザベス・ヴァスマー(Elizabeth Vassmer、1779年9月5日没、ジョン・ヘンリー・ヴァスマーの娘)と結婚、子供あり。第7代以降のアイルマー男爵の先祖

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 368–369.
  2. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "AYLMER, Henry, 2nd Lord Aylmer [I] (c.1694-1754), of Greenwich, Kent.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月28日閲覧
  3. ^ "Aylmer, Baron (I, 1718)". Cracroft's Peerage (英語). 8 November 2011. 2019年7月28日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
フィリップス・ギボン
サー・ジョン・ノリス英語版
庶民院議員(ライ選挙区英語版選出)
1722年 – 1727年
同職:フィリップス・ギボン
次代
フィリップス・ギボン
サー・ジョン・ノリス英語版
アイルランドの爵位
先代
マシュー・エイルマー英語版
エイルマー男爵
1720年 – 1754年
次代
ヘンリー・エイルマー