Platinum 900
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(プラチナム900から転送)
Platinum 900(プラチナム 900)は、日本のバンド。1994年に結成[1]し、1997年にBMG JAPANからメジャーデビュー。1999年解散[2]。
メンバー
[編集]- 坂田直子(さかた なおこ):ボーカル、作詞
- 西村一彦(にしむら かずひこ):エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター、ベース、作曲、作詞(一部、坂田と共作)
- 飯星裕史(いいほし ひろし):キーボード、プログラミング、編曲、作曲(一部、西村と共作)
来歴
[編集]- それぞれ1980年代後半に10代でバンドを組んで活動していた。
- 坂田が、友人から西村を紹介してもらったが、20代では2人ともバンド活動を一旦終了していた。
- 西村の曲に坂田が歌を付けたところ、所属事務所に気に入られ、レコードを制作することとなった。
- そのレコーディングが始まってから、事務所から飯星を紹介され、そのうち正式メンバーになってもらった。
- バンド名の由来は、西村によれば「白金台の一軒家に住む50代のブルジョアおば様(ブルおば)がリビングのマークレビンソンで聴いてそうな音楽を目指したい...ブルおば・シャレオツコンセプト!そこからプラチナム、ついでに900もつけて...」[3]。
- 飯星は1枚目のアルバム制作中に病気で倒れ、病院とスタジオを往復しながら作品を制作していた[2]。
音楽性
[編集]エピソード
[編集]- レコーディングにお金をかけすぎてプロモーション費ゼロという謎の販売戦略?だったため、MVの1つも残っておらず、数少ないライブも何一つ残っていない。[4]
- 2019年頃から複数のディスクガイド本やWEBメディアで、特に「Free(at last)」が名盤として紹介され、廃盤となっていた作品の中古価格が高騰[2]し、メンバーの坂田も「自分のCDが買えなくて困っていた」[3]ほどだった。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]# | 発売日 | アルバム | 規格 | 発売元・品番 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1st ミニアルバム |
1997年11月21日 | Platinum Airways Flight 900 プラチナム航空900便 |
CD | BMG JAPAN BVCR-1054 |
全7曲 |
2022年7月27日 | Blu-spec CD2 | Sony Music Labels MHCL 30728 |
メンバー監修リマスター盤 坂田の撮影したメンバー写真とコメント入りリーフレット封入 | ||
2022年11月3日 | LP | Sony Music Labels MHJL 237 |
メンバー監修リマスター・完全生産限定盤 | ||
2nd ミニアルバム |
1998年1月21日 | Concerto Für Jazz, Disco Und Bossa Nova, Platinum Symphony Orchestra プラチナム交響曲第900番「白金」 |
CD | BMG JAPAN BVCR-1055 |
全6曲 三方背ケース入り |
2022年7月27日 | Blu-spec CD2 | Sony Music Labels MHCL 30729 |
メンバー監修リマスター盤 坂田の撮影したメンバー写真とコメント入りリーフレット封入 | ||
2022年11月3日 | LP | Sony Music Labels MHJL 238 |
メンバー監修リマスター・完全生産限定盤 | ||
1st フルアルバム |
1999年7月23日 | Free(at last) フリー(アット・ラスト) |
CD | air RECORDS BVCR-11011 |
全10曲 |
2021年8月4日 | Blu-spec CD2 | Sony Music Labels MHCL 30682 |
メンバー監修リマスター盤 ブックレットにメンバーインタビュー収録。 | ||
2021年8月28日 | LP | Sony Music Labels MHJL 187 |
メンバー監修リマスター・完全生産限定盤。 全8曲であり、2ndシングルの2曲は収録されていない。 |
シングル
[編集]# | 発売日 | シングル | 規格 | 発売元・品番 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1st マキシシングル |
1998年7月23日 | missing star | CD | air RECORDS BVCR-19001 |
全4曲 |
2022年7月27日 | Blu-spec CD2 | Sony Music Labels MHCL 30730 |
メンバー監修リマスター盤 坂田の撮影したメンバー写真とコメント入りリーフレット封入 | ||
2022年11月3日 | 12インチシングル | Sony Music Labels MHJL 239 |
メンバー監修リマスター・完全生産限定盤 | ||
2nd シングル |
2022年2月18日 | ハリーは毛むくじゃら / カミーニョ・ド・マー | 7インチシングル | GREAT TRACKS DQKL-7136 |
完全生産限定盤 Side-1が45回転、Side-2が33 1/3回転。 SONY MUSIC SHOPのみの販売で、一般のCD/レコードショップでは取扱無し。 |
提供曲
[編集]解散後
[編集]- 坂田は、プロとしての音楽活動から離れている[2]。
- 西村もプロとしての音楽活動から離れ、2002年に愛知県で大学の教員になった[2]。
- 飯星は、アレンジャー、キーボーディストとして様々なアーティストの作品、ライブに参加[5]。再生不良性貧血[6]で闘病していたが、2011年5月2日逝去[7]。ソロ・ユニット「Labtranquillo」(ラブトランクィロ)のCDアルバム「TIDE」(Sunmoon Music LTQ-0001)が2011年にリリースされた[8]。
脚注
[編集]- ^ “コラム PLATINUM 900『Free (at last)』90sシティ・ポップ幻の名盤、奇跡の再発に寄せて”. music review site "Mikiki" (2021年8月3日). 2023年2月21日閲覧。
- ^ a b c d e “インタビュー PLATINUM 900とクニモンド瀧口が語り合う、早すぎた和製ジャズファンクバンドの実像といま蘇るその魅力”. music review site "Mikiki" (2022年8月3日). 2023年2月21日閲覧。
- ^ a b アルバム「Free(at last)」再発CDブックレットのインタビューより
- ^ 2022年再発CD3種に封入のリーフレットの坂田コメント
- ^ “profile”. 2023年2月21日閲覧。
- ^ “追悼文 わが友 飯星裕史” (PDF). 熊本マリスト学園 同窓会本部 (2012年4月). 2023年2月22日閲覧。
- ^ “皆様ありがとうございました”. ふんわりノート☆ (2011年5月3日). 2023年2月22日閲覧。
- ^ “TIDE”. ふんわりノート☆ (2011年7月21日). 2023年2月22日閲覧。
外部リンク
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