プスコフ裁判勅書
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(プスコフ裁判法典から転送)
プスコフ裁判勅書またはプスコフ裁判法典 (ロシア語: Псковская судная грамота) は、プスコフ共和国における古ルーシ法の法典。1397年から1467年までに、様々な改定を繰り返した。プスコフ市の議会やヴェーチェでの判例、プスコフ公の勅令、ルースカヤ・プラウダ、慣習法を元にしており、ノヴゴロド裁判勅書とあわせて後のモスクワ大公国の1497年法典に強い影響を与えた[1]。
脚注
[編集]プスコフ裁判勅書は、14世紀から15世紀のプスコフの社会、経済、政治を知るうえで最も重要な史料である。土地所有登録の手続きを規定し、土地紛争を法廷で裁き、農民の地位を定義するなど、封建体制下の私的所有権の保護に重点が置かれている。また法典の大きな部分が、売買、質入れ、借金、労働者の雇用など商業問題に割かれている。また政治犯罪や通常の犯罪について、死刑を頂点とする刑法も整備している[2]。
成立と承認
[編集]プスコフ裁判勅書は大きく二つの内容に分かれている。
- トヴェリ大公アレクサンドル・ミハイロヴィチによる章
- プスコフ公コンスタンチン・ドミトリエヴィチ(在位: 1407年 - 1414年)による章
これらは様々な追加条項とともに、1467年のヴェーチェで承認された。
脚注
[編集]- ^ Richard Hellie, "The Law," in The Cambridge History of Russia, vol. 3 Maureen Perrie, ed., pp. 360-386, esp. 364-365.
- ^ For the text of the charter, see Daniel H.Kaiser, trans. and ed. The Laws of Rus, Tenth to Fifteenth Centuries. Salt Lake City: Charles Schlacks, Jr., 1992.); see also B. D. Grekov, ed., "Pskovskaia sudnaia gramota.” Istoricheskie zapiski 6 (1940): 237-54.